八代将軍吉宗の命で遷座、その際造営された社殿
[住所]東京都港区赤坂6-10-12
[電話]03-3583-1935

氷川神社(ひかわじんじゃ)は、東京都港区赤坂にある神社。江戸七氷川の一社。近代社格では府社準勅祭社に指定され、現在はそれがもととなって成立した東京十社の一社。

同区内白金にある白金氷川神社、元麻布にある麻布氷川神社と区別するため、赤坂氷川神社とも称される。

御祭神は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命(おおなむぢのみこと)。

平安時代の天暦5年(951年)、蓮林僧正が霊夢を見て、現在の赤坂4丁目のあたりに奉斎したと伝えられる。

治暦2年(1066年)、関東に大旱魃が発生、降雨を祈るとその霊験が認められ、以来よく祭事が行われた。

江戸時代中期の享保15年(1730年)、江戸幕府第八代将軍徳川吉宗の命により、現在地に遷された。現在の社殿はこの時に造営されたもので、東京都の有形文化財に指定されている。

『望海毎談』に「赤坂御門外の社」と記載され、江戸七氷川の筆頭に数えられた。

また、江戸七氷川のうち、「今井の盛徳寺の内の氷川の社」とあるものも、元氷川坂は現在の本氷川坂で、盛徳寺は神奈川県伊勢原市に移転しており、その氷川神社は当社に合祀された。

明治元年(1868年)、准勅祭社に列するが、その制度は長くは続かなかった。しかし、現在、元準勅祭社が再編成されて成立した東京十社の一社となっている。

例祭は9月中旬で、赤坂氷川祭と呼ばれる。宮神輿2基を氏子赤坂21ヶ町の江戸型山車13本が警固する形をとって神領内を巡行していたことに由来する。

往時のその情景は、神社拝殿に納められている「祭礼山車行列額絵」に見ることができる。江戸において、山王権現神田明神の「天下祭」「御用祭」に次ぐ規模だったとも。

山車を含め、近代化とともに次第に祭礼で取り沙汰されることがなくなり、祭りは一時衰微した。

しかし、平成19年(2008年)9月に「NPO法人赤坂氷川山車保存会」が発足、平成28年(2016年)には宮神輿も新調された。

現在では、複数の山車と町会神輿の連合渡御が主流となり、参加者3000人、見学者を含めると総勢2万人規模の祭りへと成長した。

境内社に、四合稲荷(しあわせいなり)、西行稲荷(さいぎょういなり)、九神社(くじんしゃ)、桶新稲荷・山口稲荷がある。

このうち、四合稲荷に鈴降稲荷神社が合祀されたと伝わる。

他に境内には、額堂、石燈籠、浅野長矩の夫人瑤泉院の実家である浅野土佐守邸跡、区の天然記念物に指定されている大イチョウ、包丁塚などがある。

【ご利益】
開運、厄除、良縁の鎮守神、厄除け、良縁・縁結びなど(公式HP
氷川神社(東京都港区赤坂) - 八代将軍吉宗の命で遷座、その際造営された社殿
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