江戸期に創建された東の太宰府天満宮、東京の学問の神様最高峰の一社
[住所]東京都江東区亀戸3-6-1
[電話]03-3681-0010

亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ)は、東京都江東区亀戸にある神社(天満宮)。亀戸宰府、亀戸天神、亀戸天満宮などとも。

近代社格では府社準勅祭社となり、現在は東京十社の一社。湯島天満宮谷保天満宮とともに関東三大天神の一社。東京の天神さま32社の一社。

いわゆる江戸二十五天神には諸説あるが、当社は、江戸期から明治期にかけての書籍である下記に、湯島天満宮平河天満宮とともにすべて記載されるわずか三社のうちの一社(本来的には、この三社が江戸三大天神か)。

東都御府内天満宮諸社(『菅丞相往来』)
『武陽菅原詣』収録の天神
東都七天神(『菅神御一代文章』)
東都二十五天神(『卯花園漫録』)
府内天神(『江戸拾葉』)
菅祠二十五社(『霊神仏之記』)
御内府及び御内府近辺二十五天神(『天満宮御伝記略』)
東京天満宮二十五社(『菅原大神千年大祭図会』)

正保年間(1644年-1647年)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。

そして1661年(寛文元年)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。

当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は、復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。

そして1662年(寛文2年)、地形を初め社殿、楼門、回廊、心字池、太鼓橋などが太宰天満宮に倣い造営された。『江戸名所図会』にも記載がある。

古くは総本宮に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、明治6年(1873年)に府社となり亀戸神社に、昭和11年(1936年)に現社名になった。

御祭神は天満大神(菅原道真)と、菅原家の祖神とされる天菩日命

例年1月24日-25日にうそ替え神事が行われる。縁起物である木彫りの鷽(ウソ)が授与される。「去年の悪(あ)しきはうそ(鷽)となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」との言い伝えによる。

例年2月第2日曜日から3月第2日曜日までが梅まつり、4月25日から5月5日までが藤まつり。江戸時代から亀戸の藤と呼ばれた藤の名所であり、亀戸以外からも観光客が訪れる。

同時に学業講祭も行われ、学業祈願の祈願者も多く訪れる。例年10月下旬から11月下旬までが菊まつり。

なお、当社では墨田区立川の元徳稲荷神社榎稲荷神社を兼務している。

【ご利益】
学業・試験合格など(公式HP
亀戸天神社 東京都江東区亀戸
【関連記事】
準勅祭社とは? - 明治初期に短期間存在した、勅祭社に準じる東京近郊の12の神社(13社)
東京五社とは? - もとは横のつながりに基づく連携、今や東京を代表する五社めぐり定番
東京の天神さま32社 - 東京梅風会の会員、リアルタイムの天神信仰の拠点、有力天満宮
江戸二十五天神 - よく言われるのに資料のない不思議な菅公巡拝、東京の代表的な天満宮
江戸三大天神 - 東京区内にある有力な三天満宮、亀戸天神社・湯島天満宮・平河天満宮

関東三大天神 - 東京都にある有力な三天満宮、亀戸天神社・湯島天満宮・谷保天満宮
『江戸名所図会』に掲載されている神社 - 文字通り「特筆」に値する江戸期からの名社
[日本全国]初詣で人気の神社、その人出は? 参拝者数ランキング | 東京都 | 菅原道真
『日本の神社全国版(77) 2015年 8/4 号 [雑誌]』 - 東京の亀戸天神社、湯島天満宮、根津神社
東京都の旧府社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社

東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧