天皇皇后両陛下もご観覧された江戸三大祭・深川祭で有名な深川八幡
[住所]東京都江東区富岡1-20-3
[電話]03-3642-1315
富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)は、東京都江東区富岡にある神社。深川七福神巡り、江戸八所八幡宮の一社。別名を「深川八幡」とも。深川祭が有名。
準勅祭社に指定され、近代社格では府社、現在は東京十社の一社、神社本庁の別表神社だったが、平成29年(2017年)になって、宮司の任命を巡って離脱した。
寛永4年(1624年)、長盛法師が神託により砂州であった当地を干拓し、永代島に八幡宮を建立したことが創建とされる。
一方、横浜市の富岡八幡宮の八幡宮明細帳(1893年(明治26年))では、江戸時代初期に行なわれた深川の干拓が難航したため、波除八幡の異名をもつ富岡八幡宮を分霊したとの記録が残る。
創建当時は「永代八幡」と呼ばれ、砂州の埋め立てにより6万508坪の社有地があった。
主祭神は応神天皇。八幡神であり、第15代天皇。相殿神は以下の通り。
・神功皇后(主祭神の母)
・仁徳天皇(主祭神の子で、第16代天皇)
・天照皇大神(主祭神の祖)
・常磐社神
・武内宿祢命(主祭神の重臣)
・日本武尊(主祭神の祖父)
・天児屋根命(主祭神の祖ニニギとともに降臨、中臣氏の祖)
・竈大神
八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受け、庶民にも「深川の八幡様」として親しまれた。広く美麗な庭園は人気の名所であった。なお、長盛法師は同じ地に別当寺院として永代寺も建立している。
当社の周囲には門前町(現在の門前仲町)が形成され、干拓地が沖合いに延びるにつれ商業地としても重要視された。『江戸名所図会』にも記載されている。
明治維新後の社格は、准勅祭社とされ、同制度の廃止後は延喜式神名帳に記載がないため府社とされたが、皇室の尊崇を受け続けた。今でも、2012年の深川祭は今上天皇皇后両陛下のご観覧があった。
永代寺については、神仏分離令によって廃寺。現在の永代寺は、明治29年(1896年)に再建されたものである。昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲により社殿が焼失。
その際、昭和天皇が視察に来られてお言葉を発したのを記念した碑が境内にある。昭和31年(1956年)、現在の社殿が造営される。
境内社には、七渡弁天と親しまれる地主神で、八幡宮が創祀される以前から祀られている七渡神社・粟島神社、車析社・客神社、江戸勧進相撲発祥の地としての野見宿禰神社、住吉社、聖徳太子社、天満天神社などがある。
このうち、天満天神社は特に江戸期には深川天神などと親しまれ、いわゆる江戸二十五天神には諸説あるが、当社は、江戸期から明治期にかけての書籍である下記に記載されている。
・東都二十五天神(『卯花園漫録』)
・府内天神(『江戸拾葉』)
・東京天満宮二十五社(『菅原大神千年大祭図会』)
毎年8月15日を中心に行われる深川八幡祭とも呼ばれる深川祭が例祭。三年に一度本祭りが斎行される。
神田神社の神田祭、日枝神社の山王祭と並んで江戸三大祭の一つに数えられ、約370年の歴史を誇る。
当社の一の宮神輿は日本最大の神輿とされ、あまりの大きさに平成3年(1991年)に初渡御が行われただけで以後は神輿倉の展示品として扱われている。
平成20年(2008年)の連合渡御には、平泉の世界文化遺産登録を記念して、平泉の神輿が特別に参加した。渡御途中の中央区新川(永代橋西詰付近)からは厚化粧して日本髪の鬘を被った女性の手古舞が加わる。
平成29年12月当社敷地内で、神社関係者の男女3人が切りつけられるなどし、女性宮司の富岡長子氏などが死傷した事件が起きた。
【ご利益】
厄除、家内安全、交通安全、商売繁盛、社内安全など(公式HP)
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[電話]03-3642-1315
富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)は、東京都江東区富岡にある神社。深川七福神巡り、江戸八所八幡宮の一社。別名を「深川八幡」とも。深川祭が有名。
準勅祭社に指定され、近代社格では府社、現在は東京十社の一社、神社本庁の別表神社だったが、平成29年(2017年)になって、宮司の任命を巡って離脱した。
寛永4年(1624年)、長盛法師が神託により砂州であった当地を干拓し、永代島に八幡宮を建立したことが創建とされる。
一方、横浜市の富岡八幡宮の八幡宮明細帳(1893年(明治26年))では、江戸時代初期に行なわれた深川の干拓が難航したため、波除八幡の異名をもつ富岡八幡宮を分霊したとの記録が残る。
創建当時は「永代八幡」と呼ばれ、砂州の埋め立てにより6万508坪の社有地があった。
主祭神は応神天皇。八幡神であり、第15代天皇。相殿神は以下の通り。
・神功皇后(主祭神の母)
・仁徳天皇(主祭神の子で、第16代天皇)
・天照皇大神(主祭神の祖)
・常磐社神
・武内宿祢命(主祭神の重臣)
・日本武尊(主祭神の祖父)
・天児屋根命(主祭神の祖ニニギとともに降臨、中臣氏の祖)
・竈大神
八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受け、庶民にも「深川の八幡様」として親しまれた。広く美麗な庭園は人気の名所であった。なお、長盛法師は同じ地に別当寺院として永代寺も建立している。
当社の周囲には門前町(現在の門前仲町)が形成され、干拓地が沖合いに延びるにつれ商業地としても重要視された。『江戸名所図会』にも記載されている。
明治維新後の社格は、准勅祭社とされ、同制度の廃止後は延喜式神名帳に記載がないため府社とされたが、皇室の尊崇を受け続けた。今でも、2012年の深川祭は今上天皇皇后両陛下のご観覧があった。
永代寺については、神仏分離令によって廃寺。現在の永代寺は、明治29年(1896年)に再建されたものである。昭和20年(1945年)3月10日の東京大空襲により社殿が焼失。
その際、昭和天皇が視察に来られてお言葉を発したのを記念した碑が境内にある。昭和31年(1956年)、現在の社殿が造営される。
境内社には、七渡弁天と親しまれる地主神で、八幡宮が創祀される以前から祀られている七渡神社・粟島神社、車析社・客神社、江戸勧進相撲発祥の地としての野見宿禰神社、住吉社、聖徳太子社、天満天神社などがある。
このうち、天満天神社は特に江戸期には深川天神などと親しまれ、いわゆる江戸二十五天神には諸説あるが、当社は、江戸期から明治期にかけての書籍である下記に記載されている。
・東都二十五天神(『卯花園漫録』)
・府内天神(『江戸拾葉』)
・東京天満宮二十五社(『菅原大神千年大祭図会』)
毎年8月15日を中心に行われる深川八幡祭とも呼ばれる深川祭が例祭。三年に一度本祭りが斎行される。
神田神社の神田祭、日枝神社の山王祭と並んで江戸三大祭の一つに数えられ、約370年の歴史を誇る。
当社の一の宮神輿は日本最大の神輿とされ、あまりの大きさに平成3年(1991年)に初渡御が行われただけで以後は神輿倉の展示品として扱われている。
平成20年(2008年)の連合渡御には、平泉の世界文化遺産登録を記念して、平泉の神輿が特別に参加した。渡御途中の中央区新川(永代橋西詰付近)からは厚化粧して日本髪の鬘を被った女性の手古舞が加わる。
平成29年12月当社敷地内で、神社関係者の男女3人が切りつけられるなどし、女性宮司の富岡長子氏などが死傷した事件が起きた。
【ご利益】
厄除、家内安全、交通安全、商売繁盛、社内安全など(公式HP)
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