武州六社中唯一の式外社、平将門の乱よりの武家の崇敬厚く
[住所]東京都あきる野市二宮2252
[電話]042-558-5636

二宮神社(にのみやじんじゃ)は、東京都あきる野市二宮にある神社。別称は小河神社(おがわじんじゃ)。古くは「小河大明神」または「二宮大明神」とも称された。

武蔵国二宮で、武蔵国の一宮から六宮までの武州六社(武州六大明神、武蔵六所大明神)の中で、唯一式内社ではない。近代社格では郷社。

創立年代は不詳。御祭神は、国常立尊(くにとこたちのみこと)。

『和名抄』に記されている武蔵国多摩郡小川郷の鎮守。武蔵国の二宮であったとされ、『神道集』『私案抄』にみられる「武州六大明神」の一角に数えられている。

現在も武蔵国総社・六所宮(現 大國魂神社)の一座に祀られ、今でも5月の大國魂神社の例大祭「くらやみ祭」に参加しているほか、周辺の地名は「二宮」と称されている。

古記録によると、藤原秀郷が生国の山王二十一社中の二宮を崇敬する縁故をもって、特に当社を崇敬し、天慶の乱(平将門の乱)に際して戦勝祈願を込め、乱平定の奉賽として社殿玉垣を造営した。

源頼朝、北条氏政も崇敬篤く、ことに北条氏照は滝山城主となって、同氏の祈願所とした。のち、神殿・神宮宅は罹災し、記録の大半が焼失した。

一方、鎌倉時代には当地付近に大石氏中興の祖とされる信重が城館を構え、五代にわたって居城としたとの記録がある。

この「二宮城」の所在を探るため、昭和47年(1972年)に二宮神社境内の一角が発掘調査されたが、関係する資料は検出されなかった。

しかし、この発掘調査では、寺院に関係する小型の金銅製薬師如来像や中世の瓦が発見され、新たな謎を呼んでいる。特に、薬師如来像は小河大明神とのかかわりが指摘されている。

天正19年(1591年)、徳川家康より朱印15石を受け、以後、代々継承されてきた。現在の本殿は、江戸時代に建立されたといわれる。明治3年(1870年-1871年)、現社名に改称。

本殿は、三間社流造で、江戸時代の造営。内部には室町時代造営の宮殿(市指定文化財)が納められている。

参道の石段を降りて道路を渡った反対側には、当社の「お池」があり、豊富な湧出量を誇る清らかな湧き水が満々とたたえられ、「千人清水」と名付けられた小川が勢いよく流れ出している。

この湧水は同市の八雲神社の湧水とともに、東京都選定「東京の名湧水57選」の一つに数えられている。

お池の中には1990年(平成2年)菅野遊邦作の「雨乞いの男」という、座って横笛を吹いている男の像がある。これは昔、ここで雨乞いをしていたという言い伝えに基づいて制作されたものである。

例大祭は9月8日が宵宮、9月9日が本祭で、通称「しょうが祭」。神饌として、しょうがを奉納するならわしがある。

祭礼当日は参道にしょうがを売る店が立ち並び、しょうがを買う多数の参拝者でにぎわう。

この9月第2週の当社の例大祭の後、市内では第3週に正一位岩走神社、第4週に阿伎留神社の例大祭が続き、この三つの例大祭はあきる野三大まつりと総称される。

男性アイドルグループ「嵐」(ジャニーズ事務所)のメンバー二宮和也の名前を冠する神社の一つ。嵐神社として有名なのは兵庫県神戸市の同名神社

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二宮神社(あきる野市) - 武州六社中唯一の式外社、平将門の乱よりの武家の崇敬厚く
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