武蔵国総社、例大祭は関東三大奇祭「くらやみ祭り」 一から六宮集結
[住所]東京都府中市宮町3-1
[電話]042-362-0092
大國魂神社(おおくにたまじんじゃ、大国魂神社)は、東京都府中市にある神社。武蔵国の一之宮(一宮)から六之宮までを祀るため、「六所宮」とも呼ばれる。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 多磨郡「大麻止乃豆乃天神社」に比定される式内社(小社)の論社。武蔵国総社、準勅祭社、近代社格では官幣小社、現在は神社本庁の別表神社。東京五社の一社。
本殿の呉祭神は中殿において、大國魂大神(おおくにたまのおおかみ。主祭神で、大国主命と同神とされる)と御霊大神(ごりょうおおかみ)、国内諸神。
東殿において、一之宮の小野大神、二之宮の小河大神、三之宮の氷川大神、西殿において、四之宮の秩父大神、五之宮の金佐奈大神、六之宮の杉山大神。以上を通称、武州六社明神(武州六社)という。
創立の初期には、創建日の5月5日に武蔵国中の神官が集まり祈祷を行っていたと伝えられる。
社伝『府中六所社伝』などに記された伝承によれば、第12代景行天皇41年5月5日に大國魂大神がこの地に降臨し、それを郷民が祀った社が起源という。
その後出雲臣の祖神天穂日命の後裔が武蔵国造に任ぜられ社の奉仕を行ってから、代々の国造が奉仕してその祭務を行ったと伝承されている。このときの社号は「大國魂神社」。
大化元年(645年)の 大化の改新時、武蔵の国府が社有地内に置かれて社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する社となった。
国司が国内社の奉幣巡拝、神事執行等の便により国内諸神を配祀し、武蔵国総社の起源になった。このときに社号は「武蔵総社」となったという。
その後、武蔵国内の著名の神、六所(六社の神)を奉祀して、社号が「武蔵総社六所宮」と変わった。なお、狛江市和泉にも六所宮と呼ばれた伊豆見神社がある。当社と同様、社殿は北面している。
康平5年(1062年)、前九年合戦平定の際に源頼義と義家の父子が、欅の苗千本を寄進した。これは現在、国の天然記念物に指定されている「馬場大門のケヤキ並木」の起源。
また、神前にすももを供物として供したことから、後年この日とされる7月20日に毎年「すもも祭り」が行われるようになった。
寿永元年(1182年)、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、政子の安産の祈願が行われた。
文治2年(1186年)、頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営。貞永元年2月(1232年)、執権北条泰時の代で社殿の修造が行われた。
天正18年(1590年)8月に徳川家康が江戸へ入城してからは、 武蔵国の総社として、社領500石が寄進されて社殿及びその他の造営が行われた。
正保3年(1646年)10月、類焼により社殿が焼失。寛文7年(1667年)、徳川家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。慶応年間(19世紀中半)には、檜皮葺が銅板葺に改められた。
明治元年(1868年)、勅祭社に準ぜられた。いわゆる準勅祭社。明治4年(1872年)、現社号に改称。明治7年(1875年)、県社に列した。明治18年(1886年)、官幣小社となった。
日本海軍の軽巡洋艦「多摩」の艦内神社に分祀。当社は「多摩」に対して、金属製の小型社殿を寄贈したという。境内に慰霊碑がある。
艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ゆかり。
平成23年(2011年)、齋館の新築、随神門の改築、手水舎の移設が行われた。
当社の例大祭は、関東三大奇祭の一つである「くらやみ祭り」。
源頼義と義家の父子が当社参拝を行ったことに由来し、現在でも禊は品川の海、特に源頼義と義家が当社参拝と同時に参拝した荏原神社で行われる。
武蔵国一宮から六宮までの各社が参加する。毎年4月30日から5月6日にかけて行われており、本来歌垣の性格を帯びていたが、明治時代に淫靡な風習として改められた。
また、夜間に実施されていた祭礼の行事も昭和34年(1959年)より夕刻の実施となった。
全国東照宮連合会に加盟している。なお、臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。
なお、式内社「大麻止乃豆乃天神社」の論社は他に、稲城市大丸の大麻止乃豆乃天神社、青梅市御嶽山の武蔵御嶽神社、八王子市北野町の天満社がある。
【ご利益】
厄除け、八方除け、交通安全、家内安全、学業成就、商売繁盛など(公式HP)

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・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧


[電話]042-362-0092
大國魂神社(おおくにたまじんじゃ、大国魂神社)は、東京都府中市にある神社。武蔵国の一之宮(一宮)から六之宮までを祀るため、「六所宮」とも呼ばれる。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 多磨郡「大麻止乃豆乃天神社」に比定される式内社(小社)の論社。武蔵国総社、準勅祭社、近代社格では官幣小社、現在は神社本庁の別表神社。東京五社の一社。
本殿の呉祭神は中殿において、大國魂大神(おおくにたまのおおかみ。主祭神で、大国主命と同神とされる)と御霊大神(ごりょうおおかみ)、国内諸神。
東殿において、一之宮の小野大神、二之宮の小河大神、三之宮の氷川大神、西殿において、四之宮の秩父大神、五之宮の金佐奈大神、六之宮の杉山大神。以上を通称、武州六社明神(武州六社)という。
創立の初期には、創建日の5月5日に武蔵国中の神官が集まり祈祷を行っていたと伝えられる。
社伝『府中六所社伝』などに記された伝承によれば、第12代景行天皇41年5月5日に大國魂大神がこの地に降臨し、それを郷民が祀った社が起源という。
その後出雲臣の祖神天穂日命の後裔が武蔵国造に任ぜられ社の奉仕を行ってから、代々の国造が奉仕してその祭務を行ったと伝承されている。このときの社号は「大國魂神社」。
大化元年(645年)の 大化の改新時、武蔵の国府が社有地内に置かれて社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する社となった。
国司が国内社の奉幣巡拝、神事執行等の便により国内諸神を配祀し、武蔵国総社の起源になった。このときに社号は「武蔵総社」となったという。
その後、武蔵国内の著名の神、六所(六社の神)を奉祀して、社号が「武蔵総社六所宮」と変わった。なお、狛江市和泉にも六所宮と呼ばれた伊豆見神社がある。当社と同様、社殿は北面している。
康平5年(1062年)、前九年合戦平定の際に源頼義と義家の父子が、欅の苗千本を寄進した。これは現在、国の天然記念物に指定されている「馬場大門のケヤキ並木」の起源。
また、神前にすももを供物として供したことから、後年この日とされる7月20日に毎年「すもも祭り」が行われるようになった。
寿永元年(1182年)、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、政子の安産の祈願が行われた。
文治2年(1186年)、頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営。貞永元年2月(1232年)、執権北条泰時の代で社殿の修造が行われた。
天正18年(1590年)8月に徳川家康が江戸へ入城してからは、 武蔵国の総社として、社領500石が寄進されて社殿及びその他の造営が行われた。
正保3年(1646年)10月、類焼により社殿が焼失。寛文7年(1667年)、徳川家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。慶応年間(19世紀中半)には、檜皮葺が銅板葺に改められた。
明治元年(1868年)、勅祭社に準ぜられた。いわゆる準勅祭社。明治4年(1872年)、現社号に改称。明治7年(1875年)、県社に列した。明治18年(1886年)、官幣小社となった。
日本海軍の軽巡洋艦「多摩」の艦内神社に分祀。当社は「多摩」に対して、金属製の小型社殿を寄贈したという。境内に慰霊碑がある。
艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ゆかり。
平成23年(2011年)、齋館の新築、随神門の改築、手水舎の移設が行われた。
当社の例大祭は、関東三大奇祭の一つである「くらやみ祭り」。
源頼義と義家の父子が当社参拝を行ったことに由来し、現在でも禊は品川の海、特に源頼義と義家が当社参拝と同時に参拝した荏原神社で行われる。
武蔵国一宮から六宮までの各社が参加する。毎年4月30日から5月6日にかけて行われており、本来歌垣の性格を帯びていたが、明治時代に淫靡な風習として改められた。
また、夜間に実施されていた祭礼の行事も昭和34年(1959年)より夕刻の実施となった。
全国東照宮連合会に加盟している。なお、臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。
なお、式内社「大麻止乃豆乃天神社」の論社は他に、稲城市大丸の大麻止乃豆乃天神社、青梅市御嶽山の武蔵御嶽神社、八王子市北野町の天満社がある。
【ご利益】
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