古くからの武蔵国一宮、現在も一宮として祭典・祈祷に参加
[住所]東京都多摩市一ノ宮1-18-8
[電話]042-338-1151
小野神社(おのじんじゃ)は、東京都多摩市にある神社。参拝すれば、御朱印が頂ける。兼務している百草八幡神社の御朱印も頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 多磨郡「小野神社」に比定される式内社(小社)の論社。歴史的な一宮としての武蔵国一宮で、近代社格では郷社。
武州六社(武州六大明神、武蔵六所大明神)の一社。「全国一の宮会」に加盟していない。
式内社「小野神社」の論社には他に府中市の小野神社がある。式内社比定について、多摩川の氾濫にともない遷座を繰り返した結果二社になったとも、どちらかが本社でもう一方は分祠であるともいわれる。
社殿、鳥居、隋神門、賽銭箱、神輿などに菊花紋章(十六菊の紋章)が取り付けられている。後北条氏、太田道灌らの崇敬を受けて栄えた。
江戸時代には一宮大明神と称され、江戸幕府より朱印地15石を寄進された。主祭神は以下の八柱。
・天下春命(あめのうわはるのみこと)…思金神の子とされる
・瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)
・伊弉諾尊
・素盞嗚尊
・大己貴大神
・瓊々杵尊
・彦火火出見尊
・倉稲魂命
古くは小野氏祖の天押帯日子命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)を祀っていたという説がある。
中世には近在に武蔵国府が存在したため、武蔵国一宮だった。武州六大明神の一つとされ、これらを祀る武蔵国総社の大國魂神社(六所宮)には「一宮」として祀られている。
なお、祀られているのは当社のみで、府中市の小野神社は外れている。
ただし、室町時代以降の武蔵国一宮に関しては埼玉県さいたま市大宮区の氷川神社であるとする説もある。
氷川神社自身も一宮を称しているが、大國魂神社では「三宮」として祀られ、現在でも例大祭(くらやみ祭・武蔵国府祭)の祈祷には氷川神社の神官が参じている。
「小野社」の名が初めて見られる史料として、奈良時代の宝亀3年(772年)に作成された太政官符があげられ、「多磨郡□野社(多磨郡小野社を指すと思われる)」の記述がある。
『吾妻鏡』治承5年(1181年)4月の記事に『是以武藏國多西郡内吉富并一宮蓮光寺等』とある。
「蓮光寺」(多摩市連光寺付近)とともに「一宮」(当社付近)の名が記述されており、「一宮」と「蓮光寺」を含めた形で「吉富」(京王線百草園駅 - 中河原駅の一帯)と記述している。
このほか、南北朝期の『神道集』には、当社が一宮として記載されている。
鎌倉末期の元応元年(1319年)、因幡法橋応円・権律師丞源らにより奉納された木像随身倚像が東京都指定有形文化財に指定されている。
【ご利益】
当地開拓の神(公式HP)
【関連記事】
・一宮とは? - その地域の中で最も社格の高いとされる神社のこと、根強い一宮めぐり人気
・歴史的な一宮とは? - 『中世諸国一宮制の基礎的研究』が底本、資料で確認できる一宮
・武州六社とは? - 総社の大國魂神社で祀られ例祭「くらやみ祭」に参列する武蔵国一宮から六宮
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
[電話]042-338-1151
小野神社(おのじんじゃ)は、東京都多摩市にある神社。参拝すれば、御朱印が頂ける。兼務している百草八幡神社の御朱印も頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 多磨郡「小野神社」に比定される式内社(小社)の論社。歴史的な一宮としての武蔵国一宮で、近代社格では郷社。
武州六社(武州六大明神、武蔵六所大明神)の一社。「全国一の宮会」に加盟していない。
式内社「小野神社」の論社には他に府中市の小野神社がある。式内社比定について、多摩川の氾濫にともない遷座を繰り返した結果二社になったとも、どちらかが本社でもう一方は分祠であるともいわれる。
社殿、鳥居、隋神門、賽銭箱、神輿などに菊花紋章(十六菊の紋章)が取り付けられている。後北条氏、太田道灌らの崇敬を受けて栄えた。
江戸時代には一宮大明神と称され、江戸幕府より朱印地15石を寄進された。主祭神は以下の八柱。
・天下春命(あめのうわはるのみこと)…思金神の子とされる
・瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)
・伊弉諾尊
・素盞嗚尊
・大己貴大神
・瓊々杵尊
・彦火火出見尊
・倉稲魂命
古くは小野氏祖の天押帯日子命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)を祀っていたという説がある。
中世には近在に武蔵国府が存在したため、武蔵国一宮だった。武州六大明神の一つとされ、これらを祀る武蔵国総社の大國魂神社(六所宮)には「一宮」として祀られている。
なお、祀られているのは当社のみで、府中市の小野神社は外れている。
ただし、室町時代以降の武蔵国一宮に関しては埼玉県さいたま市大宮区の氷川神社であるとする説もある。
氷川神社自身も一宮を称しているが、大國魂神社では「三宮」として祀られ、現在でも例大祭(くらやみ祭・武蔵国府祭)の祈祷には氷川神社の神官が参じている。
「小野社」の名が初めて見られる史料として、奈良時代の宝亀3年(772年)に作成された太政官符があげられ、「多磨郡□野社(多磨郡小野社を指すと思われる)」の記述がある。
『吾妻鏡』治承5年(1181年)4月の記事に『是以武藏國多西郡内吉富并一宮蓮光寺等』とある。
「蓮光寺」(多摩市連光寺付近)とともに「一宮」(当社付近)の名が記述されており、「一宮」と「蓮光寺」を含めた形で「吉富」(京王線百草園駅 - 中河原駅の一帯)と記述している。
このほか、南北朝期の『神道集』には、当社が一宮として記載されている。
鎌倉末期の元応元年(1319年)、因幡法橋応円・権律師丞源らにより奉納された木像随身倚像が東京都指定有形文化財に指定されている。
【ご利益】
当地開拓の神(公式HP)
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