鎮魂祭を行う、ニギハヤヒの子ウマシマジを祀る石見国一宮
[住所]島根県大田市川合町川合1545
[電話]0854-82-0644

物部神社(もののべじんじゃ)は、島根県大田市川合町川合にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「物部神社(石見国・安濃郡)」に比定される式内社(小社)。歴史的な一宮としての石見国一宮で、近代社格では国幣小社、現在は神社本庁の別表神社「全国一の宮会」に加盟している。

宮中でも行われる鎮魂祭を行うことで、石上神宮(奈良県天理市)および彌彦神社(新潟県弥彦村)とともに有名。ただし宮中が行う11月22日でなく、11月24日に行われる。

御祭神は宇摩志麻遅命饒速日命の子で、物部氏の祖。御祭神が石見国に鶴に乗って降臨したとも伝えることから、当社の神紋は赤い太陽を背負った鶴の「日負鶴」(ひおいづる)。

また、御祭神は日本海軍の戦艦「石見」の守護神とされ、神像が艦内神社に祀られていた。この神像は後に当社へ奉納されている。

相殿神は右座が饒速日命(物部氏祖神で主祭神の父)、布都霊神(ふつのみたまのかみ、主祭神の剣)、左座が天御中主大神天照皇大神、客座が別天津神(別天神とも)と見られる五柱の神と鎮魂八神。

社伝によれば、饒速日命の御子の宇摩志麻遅命は、初代神武天皇の大和平定を助けた後、一族を率いて美濃国、越国を平定し、その後に石見国で歿したという。

宇摩志麻遅命は現在の社殿の背後にある八百山に葬られ、第26代継体天皇8年(514年)、勅によって八百山の南麓に社殿が創建されたと伝えられる。石見国一宮として歴代領主の崇敬を受けた。

社家については、第12代景行天皇の時代に物部竹子連が石見国造に任ぜられ、その子孫は川合長田公を名乗り代々祭祀を行っていたという。

平安時代末期の文治4年(1184年)に金子家忠が安濃郡の地頭として赴いたときに子の道美が取って代わって当社の神主となり、以降金子氏が代々の祭祀を行うようになったという。

戦前、金子氏は出雲大社の千家・北島両家や、島根県出雲市大社町の日御碕神社社家の小野家と並び、全国14社家の社家華族(男爵)の一つに列する格式を有していた。

先の鎮魂祭の他、1月7日の奉射祭など多くの特殊神事が行われ、10月8日が馬場見式と例祭前夜祭、10月9日が暁天祭、例大祭などとなっている。

当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。

【ご利益】
文武両道、鎮魂、勝運の神、病気平癒、交通安全、社業繁栄、厄除けなど(公式HP
物部神社(大田市) - 鎮魂祭を行う、ニギハヤヒの子ウマシマジを祀る石見国一宮
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