神宮125社、内宮・所管社 祭祀に不可欠な御塩を外宮にも供給する神社
[住所]三重県伊勢市二見町荘
[電話]-
御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)は、三重県伊勢市二見町荘にある神社。
伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の所管社の一社。内宮所管社30社の第27位。伊勢神宮125社めぐりの中で二見めぐりの一社。
神事に欠かせない堅塩を作る施設を備えている。御塩殿の読みは神宮では「みしおどの」であるが、二見町では「みしおでん」と呼ぶ。
社殿は境内中央西より、参道から向かって左に位置し、独立した鳥居は持たない。内宮に準じ内削ぎの千木と6本で偶数の鰹木を持つ神明造。神社として社殿が与えられるようになった時期は不明。
伊勢の神宮の神饌として神事に使う堅塩を作る設備を備えた神社。面積は2万7785平方メートル。「荘」の地名は平安時代に神宮により開拓された二見庄に由来する。
古くは社殿を持たず、堅塩を焼き固める作業を行う施設である御塩殿の中に祀られていた。
境外の二見町西に塩田の御塩浜、境内に御塩汲入所・御塩焼所・御塩御倉・御塩殿があり、境内の施設では荘の住民の奉仕により製塩が行なわれる。
内宮所管社であるが、豊受大神宮(外宮)で用いられる堅塩も当社から供給される。
内宮へ神饌を納める立場とされる外宮が、逆に供給される立場になった理由として、堅田神社との混同があったとする説がある。
かつては現在の伊勢市二見町から伊勢市大湊町にかけての伊勢湾沿岸で製塩が盛んだったが、瀬戸内海を中心に入浜式塩田が広まってからは衰退し、この一帯の塩田は御塩浜のみとなった。
神宮の神事に用いる神饌などを調進する施設を御料地と呼ぶ。神社とされる御料地は当社の他に絹布を調進する神服織機殿神社と麻布を調進する神麻績機殿神社の両機殿が、いずれも松阪市にある。
御祭神は、御塩殿鎮守神(みしおどののまもりがみ)とされるが、塩土翁(しおづちのおじ)であったとする説がある。
由緒は定かではないが、804年(延暦23年)の『延暦儀式帳』に御塩殿と御塩焼殿が記されている。平安時代の10-11世紀に御塩殿近辺に二見庄が開拓され、外宮の領地(神領、外宮領)とされた。
室町時代の1486年(文明18年)から江戸時代初期に二見は武家に支配され、御塩殿の運営が困難になった。
江戸時代初期に二見を支配していた鳥羽藩主の九鬼家が跡目騒動により改易処分となり、寛永10年(1632年)に二見郷は神領への復帰が認められた。
明治4年(1871年)1月、新政府は上知令を出し、全国の寺社から境内を除く全ての領地を没収し、神領の制度は廃止された。
これにより御塩浜が没収され粗塩が作れなくなり、神宮は他所から購入した粗塩を御塩殿で焼き固め、神事に使用した。
神宮は明治10年(1877年)に御塩浜の土地を購入し、明治30年(1897年)に御塩浜と当社での御塩調進が再開され、旧神領の住民が作業を奉仕する伝統が受け継がれた。
毎年10月5日に御塩殿祭が行なわれる。御塩殿祭では、より良い堅塩がより多く得られるように祈るとともに、製塩に携わる作業者の安全を祈る。
【ご利益】
製塩の神
皇大神宮(内宮)所管社
・序列1位 滝祭神 (伊勢市宇治)
・序列2位 興玉神 (伊勢市宇治)
・序列3位 宮比神 (伊勢市宇治)
・序列4位 屋乃波比伎神 (伊勢市宇治)
・序列5位 御酒殿神 (伊勢市宇治)
・序列6位 御稲御倉 (伊勢市宇治)
・序列7位 由貴御倉 (伊勢市宇治)
・序列8位 四至神 (伊勢市宇治)
・序列9位 神服織機殿神社 (松阪市大垣)
・序列10-17位 神服織機殿神社末社八所 (松阪市大垣)
・序列18位 神麻績機殿神社 (松阪市井口)
・序列19-26位 神麻績機殿神社末社八所 (松阪市井口)
・序列27位 御塩殿神社 (伊勢市二見町)
・序列28位 饗土橋姫神社 (伊勢市宇治)
・序列29位 大山祇神社 (伊勢市宇治)
・序列30位 子安神社 (伊勢市宇治)
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伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の所管社の一社。内宮所管社30社の第27位。伊勢神宮125社めぐりの中で二見めぐりの一社。
神事に欠かせない堅塩を作る施設を備えている。御塩殿の読みは神宮では「みしおどの」であるが、二見町では「みしおでん」と呼ぶ。
社殿は境内中央西より、参道から向かって左に位置し、独立した鳥居は持たない。内宮に準じ内削ぎの千木と6本で偶数の鰹木を持つ神明造。神社として社殿が与えられるようになった時期は不明。
伊勢の神宮の神饌として神事に使う堅塩を作る設備を備えた神社。面積は2万7785平方メートル。「荘」の地名は平安時代に神宮により開拓された二見庄に由来する。
古くは社殿を持たず、堅塩を焼き固める作業を行う施設である御塩殿の中に祀られていた。
境外の二見町西に塩田の御塩浜、境内に御塩汲入所・御塩焼所・御塩御倉・御塩殿があり、境内の施設では荘の住民の奉仕により製塩が行なわれる。
内宮所管社であるが、豊受大神宮(外宮)で用いられる堅塩も当社から供給される。
内宮へ神饌を納める立場とされる外宮が、逆に供給される立場になった理由として、堅田神社との混同があったとする説がある。
かつては現在の伊勢市二見町から伊勢市大湊町にかけての伊勢湾沿岸で製塩が盛んだったが、瀬戸内海を中心に入浜式塩田が広まってからは衰退し、この一帯の塩田は御塩浜のみとなった。
神宮の神事に用いる神饌などを調進する施設を御料地と呼ぶ。神社とされる御料地は当社の他に絹布を調進する神服織機殿神社と麻布を調進する神麻績機殿神社の両機殿が、いずれも松阪市にある。
御祭神は、御塩殿鎮守神(みしおどののまもりがみ)とされるが、塩土翁(しおづちのおじ)であったとする説がある。
由緒は定かではないが、804年(延暦23年)の『延暦儀式帳』に御塩殿と御塩焼殿が記されている。平安時代の10-11世紀に御塩殿近辺に二見庄が開拓され、外宮の領地(神領、外宮領)とされた。
室町時代の1486年(文明18年)から江戸時代初期に二見は武家に支配され、御塩殿の運営が困難になった。
江戸時代初期に二見を支配していた鳥羽藩主の九鬼家が跡目騒動により改易処分となり、寛永10年(1632年)に二見郷は神領への復帰が認められた。
明治4年(1871年)1月、新政府は上知令を出し、全国の寺社から境内を除く全ての領地を没収し、神領の制度は廃止された。
これにより御塩浜が没収され粗塩が作れなくなり、神宮は他所から購入した粗塩を御塩殿で焼き固め、神事に使用した。
神宮は明治10年(1877年)に御塩浜の土地を購入し、明治30年(1897年)に御塩浜と当社での御塩調進が再開され、旧神領の住民が作業を奉仕する伝統が受け継がれた。
毎年10月5日に御塩殿祭が行なわれる。御塩殿祭では、より良い堅塩がより多く得られるように祈るとともに、製塩に携わる作業者の安全を祈る。
【ご利益】
製塩の神

皇大神宮(内宮)所管社
・序列1位 滝祭神 (伊勢市宇治)
・序列2位 興玉神 (伊勢市宇治)
・序列3位 宮比神 (伊勢市宇治)
・序列4位 屋乃波比伎神 (伊勢市宇治)
・序列5位 御酒殿神 (伊勢市宇治)
・序列6位 御稲御倉 (伊勢市宇治)
・序列7位 由貴御倉 (伊勢市宇治)
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・序列9位 神服織機殿神社 (松阪市大垣)
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・序列18位 神麻績機殿神社 (松阪市井口)
・序列19-26位 神麻績機殿神社末社八所 (松阪市井口)
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