神宮125社、外宮・摂社 海産物を神宮に納める、今は火除け「辰神さん」
[住所]三重県伊勢市神社港字南小路1
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御食神社(みけじんじゃ)は、三重県伊勢市神社港にある神社。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、豊受大神宮(外宮)の摂社の一社。外宮摂社16社の第15位。伊勢神宮125社めぐりの中で大湊めぐりの一社。

『延喜式神名帳』にある「御食神社(伊勢国・度会郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

地域住民からは産土神として信仰され、「辰神さん」と呼ばれている。境内は池と堀で囲まれている。この堀は、海水の出入りした入り江の名残とされる。

社殿は一重の玉垣に囲まれている。賽銭箱は置かれていない。本殿に向かい合う位置に舟の形をした手水鉢が置かれている。

「辰の井」と呼ばれる井戸が境内にあり、火除の神として崇敬を集めている。また、神社港のお木曳きの奉曳団は「辰組」を名乗る。

社名は、『延喜式神名帳』などでは「御食神社」で「ミケノ」という傍訓を付している。このほか、『齋宮式』では「御饗社」と記し、「ミアルシ」の傍訓を付す。

白山芳太郎は「ミアルシ」は「ミアヘツ」の誤記であるとし、「ミアヘツ」が古い御食神社の呼称であり、「御食」「御饗」と二つの表記が行われていたとする。

御祭神は、水戸御饗都神(みなとのみけつかみ)。神社港で揚がった海産物を伊勢の神宮に調進する御饌の神。「水戸」は海水の入り込む「港」を意味する。

『倭姫命世記』に記された「水饗神社(みけじんじゃ)」が起源。

水饗神社は、鷲取老翁(わしとりのおきな)が倭姫命に清水を奉った功績を讃えて創建されたもので、その時に清水を汲んだと伝わるのが「辰の井」。

『神名秘書』では、鎮座地を「箕曲郷大口村」とする。中世には祭祀が断絶し、寛文3年(1663年)に現社地で再興された。

明治4年(1871年)、外宮摂社でありながら、近代社格において度会県管轄の村社に列し、伊勢の神宮と度会県から二重に所管されることとなった。

こうした二重管轄はほかの神宮摂末社でも発生したため、神宮司庁は教部省に諮ったところ、11の末社が神宮の管轄から外れた一方、皇大神宮(内宮)末社の加努弥神社と当社はそのまま二重管轄とすることが明治5年(1872年)4月に決まった。

加努弥神社では明治14年(1881年)12月に氏子が内宮末社と村社の分離を求め、明治19年(1886年)に分離が決定するに至ったが、当社に関しては分離が提起されたという記録はなく、分離問題はなかったと見られる。

当社では、新年最初の辰の日に「お水取り」が行われる。「お水取り」では、境内にある「辰の井」から汲み上げた水(初水)を地元住民が参拝者に配る。

この水で清めると1年間水難・火難を避けることができるとの伝承から、各家庭では家の周囲に水をかけ、残り水を台所に供える習わしとなっている。

お白石持の際には、辰の井の水を道に撒きながら御白石を奉献する。

【ご利益】
水神の性質のある火除の神、水難・火難除け

豊受大神宮(外宮)摂社
序列1 草奈伎神社 (伊勢市常磐)
序列2 大間国生神社 (伊勢市常磐)
序列3 度会国御神社 (伊勢市豊川町)
序列4 度会大国玉比賣神社 (伊勢市豊川町)
序列5 田上大水神社 (伊勢市藤里町)
序列6 田上大水御前神社 (伊勢市藤里町)
序列7 志等美神社 (伊勢市辻久留)
序列8 大河内神社 (伊勢市辻久留)
序列9 清野井庭神社 (伊勢市常磐)
序列10 高河原神社 (伊勢市宮後)
序列11 河原神社 (伊勢市御薗町)
序列12 河原淵神社 (伊勢市船江)
序列13 山末神社 (伊勢市豊川町)
序列14 宇須乃野神社 (伊勢市御薗町)
序列15 御食神社 (伊勢市神社港)
序列16 小俣神社 (伊勢市小俣町)

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