神宮125社、内宮・末社 朝熊神社の御前社として再興された鏡を祀る神社
[住所]三重県伊勢市朝熊町字西沖2266
[電話]-
鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)は、三重県伊勢市朝熊町にある神社。
伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の末社の一社。内宮末社16社の第16位。伊勢神宮125社めぐりの中で五十鈴川めぐりの一社。
五十鈴川と朝熊川の合流点(落合)にある三角州上に鎮座する。五十鈴川の対岸には内宮摂社の朝熊神社、朝熊御前神社がある。神鏡を奉斎する神社。
御祭神は岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)。鏡を依り代としている。
社名「鏡宮」は元来、朝熊神社の異称の一つだった。朝熊神社で白と銅の2面の鏡を奉安していたことに由来する名で、寛文3年(1663年)に朝熊神社の御前社として当社が再興された。
朝熊神社、朝熊御前神社と当社は200メートルしか離れていない。
8畝3歩(約803平方メートル)ある境内には木の柵に囲まれた「虎石」があり、川の中には「潮干石」があるなど、周辺には多くの岩が見られる。
境内の樹木にはマツが多い。「虎石」はかつての依り代であり、この岩の上に2面の鏡が祀られていた。
創建は不詳。『皇太神宮儀式帳』には記載がない。
寛文3年(1663年)に朝熊神社の御前社として再建された後、朝熊神社の隣に朝熊御前神社が建てられ、鏡宮神社は朝熊神社から独立した神社となった。
明治5年(1872年)6月、教部省は古書に記載のない神社を一律に神宮所管から外し、度会県および三重県管轄に移行したため、当社も神宮所管から離れることとなった。
しかし、神宮側は「儀式帳にこそ記載はないが、他の古典では存在が確認され、格別の崇敬のあった神社である」と主張。この主張は聞き入れられ、明治9年(1876年)に内宮末社に復帰した。
その後、当社が内宮の末社に列格することについて神宮では議論が起きた。朝熊神社との縁が深いことから、朝熊神社末社に位置付けるべきとの意見が出されたのである。
結局、朝熊神社末社へ移行することなく、内宮末社の一社のままとなった。明治41年(1908年)10月に社殿の建て替えが行われた。
【ご利益】
開運招福、諸願成就
皇大神宮(内宮)末社
・序列1位 鴨下神社 (度会郡玉城町)
・序列2位 津布良神社 (度会郡玉城町)
・序列3位 葭原神社 (伊勢市中村町)
・序列4位 小社神社 (度会郡玉城町)
・序列5位 許母利神社 (伊勢市二見町)
・序列6位 新川神社 (伊勢市宇治)
・序列7位 石井神社 (伊勢市宇治)
・序列8位 宇治乃奴鬼神社 (伊勢市楠部町)
・序列9位 加努弥神社 (伊勢市鹿海町)
・序列10位 川相神社 (伊勢市宇治)
・序列11位 熊淵神社 (伊勢市宇治)
・序列12位 荒前神社 (伊勢市二見町)
・序列13位 那自賣神社 (伊勢市中村町)
・序列14位 葦立弖神社 (伊勢市楠部町)
・序列15位 牟弥乃神社 (多気郡多気町)
・序列16位 鏡宮神社 (伊勢市朝熊町)
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鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)は、三重県伊勢市朝熊町にある神社。
伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の末社の一社。内宮末社16社の第16位。伊勢神宮125社めぐりの中で五十鈴川めぐりの一社。
五十鈴川と朝熊川の合流点(落合)にある三角州上に鎮座する。五十鈴川の対岸には内宮摂社の朝熊神社、朝熊御前神社がある。神鏡を奉斎する神社。
御祭神は岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)。鏡を依り代としている。
社名「鏡宮」は元来、朝熊神社の異称の一つだった。朝熊神社で白と銅の2面の鏡を奉安していたことに由来する名で、寛文3年(1663年)に朝熊神社の御前社として当社が再興された。
朝熊神社、朝熊御前神社と当社は200メートルしか離れていない。
8畝3歩(約803平方メートル)ある境内には木の柵に囲まれた「虎石」があり、川の中には「潮干石」があるなど、周辺には多くの岩が見られる。
境内の樹木にはマツが多い。「虎石」はかつての依り代であり、この岩の上に2面の鏡が祀られていた。
創建は不詳。『皇太神宮儀式帳』には記載がない。
寛文3年(1663年)に朝熊神社の御前社として再建された後、朝熊神社の隣に朝熊御前神社が建てられ、鏡宮神社は朝熊神社から独立した神社となった。
明治5年(1872年)6月、教部省は古書に記載のない神社を一律に神宮所管から外し、度会県および三重県管轄に移行したため、当社も神宮所管から離れることとなった。
しかし、神宮側は「儀式帳にこそ記載はないが、他の古典では存在が確認され、格別の崇敬のあった神社である」と主張。この主張は聞き入れられ、明治9年(1876年)に内宮末社に復帰した。
その後、当社が内宮の末社に列格することについて神宮では議論が起きた。朝熊神社との縁が深いことから、朝熊神社末社に位置付けるべきとの意見が出されたのである。
結局、朝熊神社末社へ移行することなく、内宮末社の一社のままとなった。明治41年(1908年)10月に社殿の建て替えが行われた。
【ご利益】
開運招福、諸願成就

皇大神宮(内宮)末社
・序列1位 鴨下神社 (度会郡玉城町)
・序列2位 津布良神社 (度会郡玉城町)
・序列3位 葭原神社 (伊勢市中村町)
・序列4位 小社神社 (度会郡玉城町)
・序列5位 許母利神社 (伊勢市二見町)
・序列6位 新川神社 (伊勢市宇治)
・序列7位 石井神社 (伊勢市宇治)
・序列8位 宇治乃奴鬼神社 (伊勢市楠部町)
・序列9位 加努弥神社 (伊勢市鹿海町)
・序列10位 川相神社 (伊勢市宇治)
・序列11位 熊淵神社 (伊勢市宇治)
・序列12位 荒前神社 (伊勢市二見町)
・序列13位 那自賣神社 (伊勢市中村町)
・序列14位 葦立弖神社 (伊勢市楠部町)
・序列15位 牟弥乃神社 (多気郡多気町)
・序列16位 鏡宮神社 (伊勢市朝熊町)
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