江戸期再興に先立ち再興され、影響与えた神宮125社の外宮・摂社
[住所]三重県伊勢市藤里町字大丸679
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田上大水神社(たのえおおみずじんじゃ)は、三重県伊勢市藤里町にある神社。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、豊受大神宮(外宮)の摂社の一社。外宮摂社16社の第5位。伊勢神宮125社めぐりの中で外宮めぐりの一社。

『延喜式神名帳』にある「田上大水神社(伊勢国・度会郡)」に比定される式内社(小社)。

外宮の摂社・田上大水御前神社が同じ社地にある。外宮宮域・高倉山に鎮座する外宮の摂社・山末神社の南に位置する。

周辺は宅地化が進んでいるが、かつては水田が広がり、境内の森は現今より目立っていた。

付近には宮崎氏神社跡や山宮祭場跡など度会氏にまつわる史跡がある。鎮座地の丘は濠に囲まれ、東西22メートル、南北43メートル、比高5.5メートルである。宮域面積は約1133平方メートル。

当社と田上大水御前神社の社殿は同じ玉垣の中に鎮座する。社殿正面に向って左側面に鎮座するのが田上大水御前神社。

社殿は神明造の板葺で、当社は南向き、田上大水御前神社は東向きに建てられている。賽銭箱は置かれていない。

周辺住民からは「丸山さん」「車塚」と呼ばれ、親しまれる。社地は「車塚一号墳」という名の古墳で、前方後円墳だとされる。

ただし、古墳は原形をとどめていない。御所車に形が似ていることから「車塚」と呼ばれる。

外宮摂社第2位の大間国生神社が「大間社」と「国生社」の二所からなることから、当社も「田上」と「大水」の二所からなると考えられる場合があるが、誤りとされる。

当社の祭神は小事神主(おごとかんぬし)。外宮の世襲神主であった度会氏の祖先。『度会縣宮社検査録』などの明治期の文献では御祭神を不詳とするものが多い。

社名から推測できるように、もとは水の神であったのではないかとされる。

社名は『延喜式神名帳』では「田上大水神社」だが、『止由気宮儀式帳』では「田上神社」。

創建は不詳。中世の末には祭祀が行われなくなる。権禰宜の出口延良(度会延良)が承応元年(1652年)に度会四門の氏人らとともに再建。

この後の大宮司河邊精長(大中臣精長)による他の摂社の再興事業は、当社の再興に大きな影響を与えたという。

こうした再興の経緯により、明治初期の神宮改正まで氏人によって社殿の造り替えが続けられた。

社殿は大正12年(1923年)3月に建て替えられている。また昭和33年(1958年)12月にも建て替えが行われ、昭和54年(1979年)9月20日に大修繕が施された。

【ご利益】
氏神。水の神。事始めや革新

豊受大神宮(外宮)摂社
序列1 草奈伎神社 (伊勢市常磐)
序列2 大間国生神社 (伊勢市常磐)
序列3 度会国御神社 (伊勢市豊川町)
序列4 度会大国玉比賣神社 (伊勢市豊川町)
序列5 田上大水神社 (伊勢市藤里町)
序列6 田上大水御前神社 (伊勢市藤里町)
序列7 志等美神社 (伊勢市辻久留)
序列8 大河内神社 (伊勢市辻久留)
序列9 清野井庭神社 (伊勢市常磐)
序列10 高河原神社 (伊勢市宮後)
序列11 河原神社 (伊勢市御薗町)
序列12 河原淵神社 (伊勢市船江)
序列13 山末神社 (伊勢市豊川町)
序列14 宇須乃野神社 (伊勢市御薗町)
序列15 御食神社 (伊勢市神社港)
序列16 小俣神社 (伊勢市小俣町)

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