神宮125社、内宮・末社 社地が最も狭い序列9位、五穀豊穣の神を祀る
[住所]三重県伊勢市鹿海町字大野間1100-2
[電話]-
加努弥神社(かぬみじんじゃ)は、三重県伊勢市鹿海町にある神社。
伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の末社の一社。内宮末社16社の第9位。伊勢神宮125社めぐりの中で五十鈴川めぐりの一社。近代社格では村社。
鹿海の集落からは少し離れた、田んぼの中に鎮座する。かつては五十鈴川が社地のすぐ近くを流れており、船着場もあったとされる。
御神体は石で、石畳の上に祀られている。社殿はない。社地の面積は1畝7歩(約122平方メートル)。神宮125社のうち、内宮・外宮両宮域外に鎮座する神社の中で、最も社地の狭い神社である。
御祭神は稲依比女命(いなよりひめのみこと)。大歳神の子で、五穀の守護神。『古事記』には大歳神の子が多く記載されているが、相応する神はいない。
大歳神の子としては、内宮摂社の朽羅神社、内宮末社の葭原神社、内宮所管社の屋乃波比伎神でも御祭神として祀られている。
内宮摂社の朝熊神社、伊雑宮所管社の佐美長神社が大歳神を祀っている。
創建は不詳。『皇大神宮儀式帳』成立、すなわち延暦23年(804年)以前から存在していた。
明治4年(1871年)、内宮末社でありながら、度会県管轄の村社に列し、伊勢の神宮と度会県から二重に所管されることとなった。
こうした二重管轄はほかの神宮摂末社でも発生したため、神宮司庁は教部省に諮ったところ、11の末社が神宮の管轄から外れた一方、当社と豊受大神宮(外宮)摂社の御食神社はそのまま二重管轄とすることが明治5年(1872年)4月に決まった。
当社では明治14年(1881年)12月に氏子が内宮末社と村社の分離を求めた。
鹿海の住民は、明治4年に本来は鎮座地も御祭神も異なっていた内宮末社と村社が混同され、事実上神宮所管となり、村社として住民が管理できなくなってしまったと訴えた。
さらに、明治3年(1870年)に村社「八王子社」が「加努弥神社」に改称され、御祭神も加努弥神社の御祭神に改められたという書類と、「加努弥神社」の旧社地が「八王子社」の社地と異なることを示す書類を証拠として提出した。
神宮・三重県庁・内務省の三者で協議を重ねた結果、明治19年(1886年)2月に内宮末社と村社を分離することで決着。
同じく二重管轄とされた御食神社には住民の分離運動が行われたという記録はなく、分離問題はなかったと見られている。
【ご利益】
食物神の家系で特に田畑、農業、五穀豊穣
皇大神宮(内宮)末社
・序列1位 鴨下神社 (度会郡玉城町)
・序列2位 津布良神社 (度会郡玉城町)
・序列3位 葭原神社 (伊勢市中村町)
・序列4位 小社神社 (度会郡玉城町)
・序列5位 許母利神社 (伊勢市二見町)
・序列6位 新川神社 (伊勢市宇治)
・序列7位 石井神社 (伊勢市宇治)
・序列8位 宇治乃奴鬼神社 (伊勢市楠部町)
・序列9位 加努弥神社 (伊勢市鹿海町)
・序列10位 川相神社 (伊勢市宇治)
・序列11位 熊淵神社 (伊勢市宇治)
・序列12位 荒前神社 (伊勢市二見町)
・序列13位 那自賣神社 (伊勢市中村町)
・序列14位 葦立弖神社 (伊勢市楠部町)
・序列15位 牟弥乃神社 (多気郡多気町)
・序列16位 鏡宮神社 (伊勢市朝熊町)
【関連記事】
・伊勢の神宮とは? - 通称:伊勢神宮、正宮・外宮・摂末社・所管社全125社の一覧
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・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
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加努弥神社(かぬみじんじゃ)は、三重県伊勢市鹿海町にある神社。
伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の末社の一社。内宮末社16社の第9位。伊勢神宮125社めぐりの中で五十鈴川めぐりの一社。近代社格では村社。
鹿海の集落からは少し離れた、田んぼの中に鎮座する。かつては五十鈴川が社地のすぐ近くを流れており、船着場もあったとされる。
御神体は石で、石畳の上に祀られている。社殿はない。社地の面積は1畝7歩(約122平方メートル)。神宮125社のうち、内宮・外宮両宮域外に鎮座する神社の中で、最も社地の狭い神社である。
御祭神は稲依比女命(いなよりひめのみこと)。大歳神の子で、五穀の守護神。『古事記』には大歳神の子が多く記載されているが、相応する神はいない。
大歳神の子としては、内宮摂社の朽羅神社、内宮末社の葭原神社、内宮所管社の屋乃波比伎神でも御祭神として祀られている。
内宮摂社の朝熊神社、伊雑宮所管社の佐美長神社が大歳神を祀っている。
創建は不詳。『皇大神宮儀式帳』成立、すなわち延暦23年(804年)以前から存在していた。
明治4年(1871年)、内宮末社でありながら、度会県管轄の村社に列し、伊勢の神宮と度会県から二重に所管されることとなった。
こうした二重管轄はほかの神宮摂末社でも発生したため、神宮司庁は教部省に諮ったところ、11の末社が神宮の管轄から外れた一方、当社と豊受大神宮(外宮)摂社の御食神社はそのまま二重管轄とすることが明治5年(1872年)4月に決まった。
当社では明治14年(1881年)12月に氏子が内宮末社と村社の分離を求めた。
鹿海の住民は、明治4年に本来は鎮座地も御祭神も異なっていた内宮末社と村社が混同され、事実上神宮所管となり、村社として住民が管理できなくなってしまったと訴えた。
さらに、明治3年(1870年)に村社「八王子社」が「加努弥神社」に改称され、御祭神も加努弥神社の御祭神に改められたという書類と、「加努弥神社」の旧社地が「八王子社」の社地と異なることを示す書類を証拠として提出した。
神宮・三重県庁・内務省の三者で協議を重ねた結果、明治19年(1886年)2月に内宮末社と村社を分離することで決着。
同じく二重管轄とされた御食神社には住民の分離運動が行われたという記録はなく、分離問題はなかったと見られている。
【ご利益】
食物神の家系で特に田畑、農業、五穀豊穣
皇大神宮(内宮)末社
・序列1位 鴨下神社 (度会郡玉城町)
・序列2位 津布良神社 (度会郡玉城町)
・序列3位 葭原神社 (伊勢市中村町)
・序列4位 小社神社 (度会郡玉城町)
・序列5位 許母利神社 (伊勢市二見町)
・序列6位 新川神社 (伊勢市宇治)
・序列7位 石井神社 (伊勢市宇治)
・序列8位 宇治乃奴鬼神社 (伊勢市楠部町)
・序列9位 加努弥神社 (伊勢市鹿海町)
・序列10位 川相神社 (伊勢市宇治)
・序列11位 熊淵神社 (伊勢市宇治)
・序列12位 荒前神社 (伊勢市二見町)
・序列13位 那自賣神社 (伊勢市中村町)
・序列14位 葦立弖神社 (伊勢市楠部町)
・序列15位 牟弥乃神社 (多気郡多気町)
・序列16位 鏡宮神社 (伊勢市朝熊町)
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