伊勢の神宮、外宮の摂社である河原淵神社が宮域内に鎮座する地域の氏神
[住所]三重県伊勢市船江1-10-140
[電話]0596-24-5420
船江上社(ふなえかみのやしろ)は、三重県伊勢市船江にある神社。地域の氏神であり、伊勢市船江が氏子地域となっている。近代社格では村社。船江上社神社とも。
明治12年(1879年)『神社明細帳』によれば、船江が上下2村に分かれていた時代に上船江村の産土神として祀られたため、「上社」と称するという。
地元住民からは「八幡宮」と呼ばれてきたが、宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請した神社ではないとされる。
宮域内に、伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、豊受大神宮(外宮)の摂社である河原淵神社がある。
明治維新以降の伊勢の神宮内での考証の結果、河原淵神社が当社の社地に鎮座することになった。
当社の宮域面積は約765坪(約2528.9平方メートル)で、外苑も有していた。うち、河原淵神社の社地は7畝(約694.2平方メートル)。
御祭神は不詳あるいは八幡神とされてきたが、河原淵神社の御祭神に合わせて大正2年(1913年)に澤姫命と定められた。
境内には吉王稲荷神社など多くの神々が祀られている。樹齢700年を超す招福楠もある。
河原淵神社とともに「三ッ社」と称される、外宮の摂社である河原神社と、外宮の末社である毛理神社は、古書の記述に従い、当社(の境内にある河原淵神社)の北側・伊勢市御薗町新開に鎮座している。
河原神社は船江の檜尻川沿いにあった檜尻社を社地としていたという説があり、やはり御祭神不明となっていた檜尻社の御祭神が河原神社の御祭神である川神に定まった上で、現在は当社に遷された。
河原神社と同社に同座する毛理神社が鎮座する御薗町新開には、志賀井社があったとされ、毛理神社の旧社地がその志賀井社があった地とされる。志賀井社は現在、やはり当社に遷されている。
朧ヶ池(おぼろがいけ)は、当社境内にある池で、龍神が住むと伝えられている。
宮川の分流であるとされ、勢田川に注ぎ、かつては付近に河岸があったことから、「船江」という地名が付けられた。
池には鳥居と龍の像が浮かぶ。どれだけ日照りになっても池の水は枯れたことがないとされる。季節になると池面を覆うハスの花が開花する。
1918年(大正7年)1月、宮域内に河原淵神社があることとも関連して、当社は神饌幣帛料供進社に指定された。
社殿は平成14年(2002年)に建て替えられ、同年11月17日に新しい社殿に神を遷す「奉祝祭」が挙行された。
9月15日に例祭(大祭)を、3月1日に神事を行う。1月2日には「乗始」として神馬を神社を導き、「弓始」として弓を射る神事を行っていた。
1月8日には「淵祭」と称する神楽奉納と人形船を朧ヶ池に流す祭りがあり、一度中断したが、平成10年(1998年)に復興され、3月下旬に行われる。
6月に行われる「夏越の大祓い」(なごしのおおばらい)も1990年代に復興され、無病息災を祈念して参拝者が茅の輪くぐりを行う。
神社名が珍しいが、単に「上社」と言えば、「かみのやしろ」と読めば、同じく伊勢の神宮ともかかわりが深い上社(伊勢市辻久留)という神社がある。
「かみやしろ」と読めば愛知県名古屋市の地名となる。
「かみしゃ」と読めば、諏訪大社(長野県諏訪地方)の上社や、若狭彦神社(福井県小浜市)、丹生川上神社上社(奈良県吉野郡川上村迫)などを指す。
【ご利益】
地域の氏神として、八幡神、茅の輪くぐりなど日本有数の信仰が習合した神

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船江上社(ふなえかみのやしろ)は、三重県伊勢市船江にある神社。地域の氏神であり、伊勢市船江が氏子地域となっている。近代社格では村社。船江上社神社とも。
明治12年(1879年)『神社明細帳』によれば、船江が上下2村に分かれていた時代に上船江村の産土神として祀られたため、「上社」と称するという。
地元住民からは「八幡宮」と呼ばれてきたが、宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請した神社ではないとされる。
宮域内に、伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、豊受大神宮(外宮)の摂社である河原淵神社がある。
明治維新以降の伊勢の神宮内での考証の結果、河原淵神社が当社の社地に鎮座することになった。
当社の宮域面積は約765坪(約2528.9平方メートル)で、外苑も有していた。うち、河原淵神社の社地は7畝(約694.2平方メートル)。
御祭神は不詳あるいは八幡神とされてきたが、河原淵神社の御祭神に合わせて大正2年(1913年)に澤姫命と定められた。
境内には吉王稲荷神社など多くの神々が祀られている。樹齢700年を超す招福楠もある。
河原淵神社とともに「三ッ社」と称される、外宮の摂社である河原神社と、外宮の末社である毛理神社は、古書の記述に従い、当社(の境内にある河原淵神社)の北側・伊勢市御薗町新開に鎮座している。
河原神社は船江の檜尻川沿いにあった檜尻社を社地としていたという説があり、やはり御祭神不明となっていた檜尻社の御祭神が河原神社の御祭神である川神に定まった上で、現在は当社に遷された。
河原神社と同社に同座する毛理神社が鎮座する御薗町新開には、志賀井社があったとされ、毛理神社の旧社地がその志賀井社があった地とされる。志賀井社は現在、やはり当社に遷されている。
朧ヶ池(おぼろがいけ)は、当社境内にある池で、龍神が住むと伝えられている。
宮川の分流であるとされ、勢田川に注ぎ、かつては付近に河岸があったことから、「船江」という地名が付けられた。
池には鳥居と龍の像が浮かぶ。どれだけ日照りになっても池の水は枯れたことがないとされる。季節になると池面を覆うハスの花が開花する。
1918年(大正7年)1月、宮域内に河原淵神社があることとも関連して、当社は神饌幣帛料供進社に指定された。
社殿は平成14年(2002年)に建て替えられ、同年11月17日に新しい社殿に神を遷す「奉祝祭」が挙行された。
9月15日に例祭(大祭)を、3月1日に神事を行う。1月2日には「乗始」として神馬を神社を導き、「弓始」として弓を射る神事を行っていた。
1月8日には「淵祭」と称する神楽奉納と人形船を朧ヶ池に流す祭りがあり、一度中断したが、平成10年(1998年)に復興され、3月下旬に行われる。
6月に行われる「夏越の大祓い」(なごしのおおばらい)も1990年代に復興され、無病息災を祈念して参拝者が茅の輪くぐりを行う。
神社名が珍しいが、単に「上社」と言えば、「かみのやしろ」と読めば、同じく伊勢の神宮ともかかわりが深い上社(伊勢市辻久留)という神社がある。
「かみやしろ」と読めば愛知県名古屋市の地名となる。
「かみしゃ」と読めば、諏訪大社(長野県諏訪地方)の上社や、若狭彦神社(福井県小浜市)、丹生川上神社上社(奈良県吉野郡川上村迫)などを指す。
【ご利益】
地域の氏神として、八幡神、茅の輪くぐりなど日本有数の信仰が習合した神

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