神宮125社、内宮・摂社 ヤマトヒメの進路を示し助けた「まなごさん」
[住所]三重県度会郡大紀町三瀬川字久保海道94
[電話]-
多岐原神社(たきはらじんじゃ)は、三重県度会郡大紀町三瀬川にある神社。
伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の摂社の一社。内宮摂社27社の第27位。伊勢神宮125社めぐりの中で滝原めぐりの一社。
『延喜式神名帳』にある「多伎原神社(伊勢国・度会郡)」に比定される式内社(小社)。
内宮別宮の瀧原宮から宮川を約6キロ下ったところにある。伊勢神宮の摂社・末社・所管社には通例、賽銭箱は置かれていないが、当社には置かれている。
社殿は神明造の板葺で、南向きに建つ。一重の玉垣が社殿を囲み、神明鳥居1基を有する。社地の面積は5反9畝12歩(約5890.9平方メートル)。
『皇太神宮儀式帳』では「瀧原」と表記し、『延喜式神名帳』では写本によって「多伎原」「多紀原」と異なるが、後代に「多岐原」に統一された。
『倭姫命世記』では「御瀬社」。『大同元年神宮本記』には「眞奈胡神社」とあり、地域住民からは「まなごさん」と呼ばれ親しまれている。
御祭神は真奈胡神(まなごのかみ、まなこのかみ)。倭姫命を助けた神。中川経雅は祭神名「まなこ」を「眞之子」、すなわち瀧原宮の御祭神の子であるという解釈を行った。
『倭姫命世記』などによれば、天照大神を奉じて巡幸中の倭姫命が宮川を渡ろうとするも、流れが速く困っていると、真奈胡神は渡れるところを案内し、その縁で当社が定められたとされる。
他の神宮摂末社と同様、祝部と呼ばれる日常の祭祀役が任命され、『眞奈胡由来記』で祝部の存在が確認できる。
中世以降退廃、寛文3年(1663年)に大宮司・河邊精長(大中臣精長)によって倭姫命の伝説を照らし合わせて社地が選定され、再興された。
享保9年(1724年)、紀州藩は「殺生禁断」の石標を建て、享保17年(1732年)には三瀬川村が常夜灯を2基献灯した。明治37年(1904年)10月に社殿の建て替えが行われた。
「三瀬の渡し」跡を含む、当社と瀧原宮を結ぶ熊野街道伊勢路は、熊野三山へ向かう巡礼路の一部(約4.1キロ)。両神社の間には三瀬坂峠(みせざかとうげ)があり、急勾配区間となっている。
三瀬坂峠は、世界文化遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成遺産からは外れているが、茶屋跡や宝暦地蔵などが残っている。
祈年祭(2月19日)、月次祭(6月22日・12月22日)、神嘗祭(10月22日)が境内にて奉仕される。
鎮座地の三瀬川地区は、明治41年(1908年)に氏神が40町(約4.36キロ)離れた地に合祀されてしまった。
このため、氏神で行っていたおこもりを6月19日に当社で行うようになり、2月9日には同氏神で行っていた「御鍬神事」の代わりに餅投げを当社頭で行っている。
【ご利益】
道しるべ。そのものズバリ、困った時の神頼み
皇大神宮(内宮)摂社
・序列1位 朝熊神社 (伊勢市朝熊町)
・序列2位 朝熊御前神社 (伊勢市朝熊町)
・序列3位 園相神社 (伊勢市津村町)
・序列4位 鴨神社 (度会郡玉城町)
・序列5位 田乃家神社 (度会郡玉城町)
・序列6位 田乃家御前神社 (度会郡玉城町)
・序列7位 蚊野神社 (度会郡玉城町)
・序列8位 蚊野御前神社 (度会郡玉城町)
・序列9位 湯田神社 (伊勢市小俣町)
・序列10位 大土御祖神社 (伊勢市楠部町)
・序列11位 国津御祖神社 (伊勢市楠部町)
・序列12位 朽羅神社 (度会郡玉城町)
・序列13位 宇治山田神社 (伊勢市中村町)
・序列14位 津長神社 (伊勢市宇治)
・序列15位 堅田神社 (伊勢市二見町)
・序列16位 大水神社 (伊勢市宇治)
・序列17位 江神社 (伊勢市二見町)
・序列18位 神前神社 (伊勢市二見町)
・序列19位 粟皇子神社 (伊勢市二見町)
・序列20位 川原神社 (伊勢市佐八町)
・序列21位 久具都比賣神社 (度会郡度会町)
・序列22位 奈良波良神社 (度会郡玉城町)
・序列23位 棒原神社 (度会郡玉城町)
・序列24位 御船神社 (多気郡多気町)
・序列25位 坂手国生神社 (度会郡玉城町)
・序列26位 狭田国生神社 (度会郡玉城町)
・序列27位 多岐原神社 (度会郡大紀町)
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・滝原めぐり - 伊勢神宮125社めぐり、三重県度会郡大紀町、全6社
・『倭姫命世記』(13) - ヤマトヒメ、牟弥乃神社、御船神社、多岐原神社へ
・元伊勢「伊蘓宮」(いそのみや) - 元伊勢の第二十二、内宮摂末社の由来譚が多くなる
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多岐原神社(たきはらじんじゃ)は、三重県度会郡大紀町三瀬川にある神社。
伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の摂社の一社。内宮摂社27社の第27位。伊勢神宮125社めぐりの中で滝原めぐりの一社。
『延喜式神名帳』にある「多伎原神社(伊勢国・度会郡)」に比定される式内社(小社)。
内宮別宮の瀧原宮から宮川を約6キロ下ったところにある。伊勢神宮の摂社・末社・所管社には通例、賽銭箱は置かれていないが、当社には置かれている。
社殿は神明造の板葺で、南向きに建つ。一重の玉垣が社殿を囲み、神明鳥居1基を有する。社地の面積は5反9畝12歩(約5890.9平方メートル)。
『皇太神宮儀式帳』では「瀧原」と表記し、『延喜式神名帳』では写本によって「多伎原」「多紀原」と異なるが、後代に「多岐原」に統一された。
『倭姫命世記』では「御瀬社」。『大同元年神宮本記』には「眞奈胡神社」とあり、地域住民からは「まなごさん」と呼ばれ親しまれている。
御祭神は真奈胡神(まなごのかみ、まなこのかみ)。倭姫命を助けた神。中川経雅は祭神名「まなこ」を「眞之子」、すなわち瀧原宮の御祭神の子であるという解釈を行った。
『倭姫命世記』などによれば、天照大神を奉じて巡幸中の倭姫命が宮川を渡ろうとするも、流れが速く困っていると、真奈胡神は渡れるところを案内し、その縁で当社が定められたとされる。
他の神宮摂末社と同様、祝部と呼ばれる日常の祭祀役が任命され、『眞奈胡由来記』で祝部の存在が確認できる。
中世以降退廃、寛文3年(1663年)に大宮司・河邊精長(大中臣精長)によって倭姫命の伝説を照らし合わせて社地が選定され、再興された。
享保9年(1724年)、紀州藩は「殺生禁断」の石標を建て、享保17年(1732年)には三瀬川村が常夜灯を2基献灯した。明治37年(1904年)10月に社殿の建て替えが行われた。
「三瀬の渡し」跡を含む、当社と瀧原宮を結ぶ熊野街道伊勢路は、熊野三山へ向かう巡礼路の一部(約4.1キロ)。両神社の間には三瀬坂峠(みせざかとうげ)があり、急勾配区間となっている。
三瀬坂峠は、世界文化遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成遺産からは外れているが、茶屋跡や宝暦地蔵などが残っている。
祈年祭(2月19日)、月次祭(6月22日・12月22日)、神嘗祭(10月22日)が境内にて奉仕される。
鎮座地の三瀬川地区は、明治41年(1908年)に氏神が40町(約4.36キロ)離れた地に合祀されてしまった。
このため、氏神で行っていたおこもりを6月19日に当社で行うようになり、2月9日には同氏神で行っていた「御鍬神事」の代わりに餅投げを当社頭で行っている。
【ご利益】
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皇大神宮(内宮)摂社
・序列1位 朝熊神社 (伊勢市朝熊町)
・序列2位 朝熊御前神社 (伊勢市朝熊町)
・序列3位 園相神社 (伊勢市津村町)
・序列4位 鴨神社 (度会郡玉城町)
・序列5位 田乃家神社 (度会郡玉城町)
・序列6位 田乃家御前神社 (度会郡玉城町)
・序列7位 蚊野神社 (度会郡玉城町)
・序列8位 蚊野御前神社 (度会郡玉城町)
・序列9位 湯田神社 (伊勢市小俣町)
・序列10位 大土御祖神社 (伊勢市楠部町)
・序列11位 国津御祖神社 (伊勢市楠部町)
・序列12位 朽羅神社 (度会郡玉城町)
・序列13位 宇治山田神社 (伊勢市中村町)
・序列14位 津長神社 (伊勢市宇治)
・序列15位 堅田神社 (伊勢市二見町)
・序列16位 大水神社 (伊勢市宇治)
・序列17位 江神社 (伊勢市二見町)
・序列18位 神前神社 (伊勢市二見町)
・序列19位 粟皇子神社 (伊勢市二見町)
・序列20位 川原神社 (伊勢市佐八町)
・序列21位 久具都比賣神社 (度会郡度会町)
・序列22位 奈良波良神社 (度会郡玉城町)
・序列23位 棒原神社 (度会郡玉城町)
・序列24位 御船神社 (多気郡多気町)
・序列25位 坂手国生神社 (度会郡玉城町)
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