神宮125社、外宮・摂社 月夜見宮の右手後方に鎮座する序列10位の神社
[住所]三重県伊勢市宮後1-3-19
[電話]-
高河原神社(たかがわらじんじゃ/たかかわらじんじゃ。神宮会館は前者)は、三重県伊勢市宮後にある神社。
伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、豊受大神宮(外宮)の摂社の一社。外宮摂社16社の第10位。伊勢神宮125社めぐりの中で外宮めぐりの一社。
『延喜式神名帳』にある「川原坐国生神社/川原坐國生神社(伊勢国・度会郡)」に比定される式内社(小社)。
外宮の別宮・月夜見宮の境内にある。月夜見宮社殿の右手後方(北東)に位置する。境内地は三方を堀で囲まれているが、この堀は宮川の支流の名残とされる。
社殿は神明造の板葺で、玉垣に囲まれている。伊勢神宮の摂社・末社・所管社には通例、賽銭箱は置かれていないが、高河原神社には賽銭箱が置かれている。
御祭神は月夜見尊御魂(つきよみのみことのみたま)。鎮座地周辺は宮川の高河原であり、周辺地域の土地開拓の守護神。
御祭神が月夜見尊と関係するものに、月夜見宮の他、内宮の別宮・月讀宮、月讀荒御魂宮、内宮の摂社である川原神社がある。
一方で、『神名帳考證再考』は当社御祭神が倉稲魂命であると主張し、『二宮管社沿革考』は式内社としての社名「川原坐国生神社」から御祭神が国生の神(国生神、くなりのかみ)とした。
国生の神の子が祀られているものに、内宮摂社の大土御祖神社と国津御祖神社がある。
『止由気宮儀式帳』にも「高河原社」として記載がある。『類聚神祇本源』の私記によれば、徳治元年(1306年)以降、造替使よって造り替えが行われるようになった。
『二宮管社沿革考』に「応永頭工日記云、応永廿六年正月四日ノ炎上ノ事、月夜見宮・同小殿・河原社・忌火屋殿御焼、ト云ヘリ。」とある。
応永26年(1419年)正月四日に焼失するまで、当社が存在したことは分かっている。
その後祭祀が行われなくなり、近世には社地不明となるが、大宮司河邊精長(大中臣精長)の尽力により寛文3年(1663年)7月7日に現社地で再興された。
鎮座地は『神名秘書』では「在沼木郷山田村。月読宮東」とし、『類聚神祇本源』では「月読宮東、同玉垣内」としている。『二宮管社沿革考』では、旧社地を一之木の須原大社であるとしている。
この須原大社が、式内社「川原坐国生神社」の論社になっている。
明治44年(1911年)3月に建て替えが行われている。その後、昭和13年(1938年)に建て替えた後に昭和32年(1957年)に大修繕を行ったので、20年目に遷御を行った。
祈年祭(2月)、月次祭(6月・12月)、神嘗祭(10月)、新嘗祭(11月)は、禰宜(ねぎ)が巡回祭典の形で境内にて祭祀を執行する。
歳旦祭(1月)、元始祭(1月)、建国記念祭(2月11日)、風日祈祭(5月・8月)、天長祭(12月23日)は遥祀を行う。
【ご利益】
土地の開拓神。光華明彩、照徹六合之内
豊受大神宮(外宮)摂社
・序列1位 草奈伎神社 (伊勢市常磐)
・序列2位 大間国生神社 (伊勢市常磐)
・序列3位 度会国御神社 (伊勢市豊川町)
・序列4位 度会大国玉比賣神社 (伊勢市豊川町)
・序列5位 田上大水神社 (伊勢市藤里町)
・序列6位 田上大水御前神社 (伊勢市藤里町)
・序列7位 志等美神社 (伊勢市辻久留)
・序列8位 大河内神社 (伊勢市辻久留)
・序列9位 清野井庭神社 (伊勢市常磐)
・序列10位 高河原神社 (伊勢市宮後)
・序列11位 河原神社 (伊勢市御薗町)
・序列12位 河原淵神社 (伊勢市船江)
・序列13位 山末神社 (伊勢市豊川町)
・序列14位 宇須乃野神社 (伊勢市御薗町)
・序列15位 御食神社 (伊勢市神社港)
・序列16位 小俣神社 (伊勢市小俣町)
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伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、豊受大神宮(外宮)の摂社の一社。外宮摂社16社の第10位。伊勢神宮125社めぐりの中で外宮めぐりの一社。
『延喜式神名帳』にある「川原坐国生神社/川原坐國生神社(伊勢国・度会郡)」に比定される式内社(小社)。
外宮の別宮・月夜見宮の境内にある。月夜見宮社殿の右手後方(北東)に位置する。境内地は三方を堀で囲まれているが、この堀は宮川の支流の名残とされる。
社殿は神明造の板葺で、玉垣に囲まれている。伊勢神宮の摂社・末社・所管社には通例、賽銭箱は置かれていないが、高河原神社には賽銭箱が置かれている。
御祭神は月夜見尊御魂(つきよみのみことのみたま)。鎮座地周辺は宮川の高河原であり、周辺地域の土地開拓の守護神。
御祭神が月夜見尊と関係するものに、月夜見宮の他、内宮の別宮・月讀宮、月讀荒御魂宮、内宮の摂社である川原神社がある。
一方で、『神名帳考證再考』は当社御祭神が倉稲魂命であると主張し、『二宮管社沿革考』は式内社としての社名「川原坐国生神社」から御祭神が国生の神(国生神、くなりのかみ)とした。
国生の神の子が祀られているものに、内宮摂社の大土御祖神社と国津御祖神社がある。
『止由気宮儀式帳』にも「高河原社」として記載がある。『類聚神祇本源』の私記によれば、徳治元年(1306年)以降、造替使よって造り替えが行われるようになった。
『二宮管社沿革考』に「応永頭工日記云、応永廿六年正月四日ノ炎上ノ事、月夜見宮・同小殿・河原社・忌火屋殿御焼、ト云ヘリ。」とある。
応永26年(1419年)正月四日に焼失するまで、当社が存在したことは分かっている。
その後祭祀が行われなくなり、近世には社地不明となるが、大宮司河邊精長(大中臣精長)の尽力により寛文3年(1663年)7月7日に現社地で再興された。
鎮座地は『神名秘書』では「在沼木郷山田村。月読宮東」とし、『類聚神祇本源』では「月読宮東、同玉垣内」としている。『二宮管社沿革考』では、旧社地を一之木の須原大社であるとしている。
この須原大社が、式内社「川原坐国生神社」の論社になっている。
明治44年(1911年)3月に建て替えが行われている。その後、昭和13年(1938年)に建て替えた後に昭和32年(1957年)に大修繕を行ったので、20年目に遷御を行った。
祈年祭(2月)、月次祭(6月・12月)、神嘗祭(10月)、新嘗祭(11月)は、禰宜(ねぎ)が巡回祭典の形で境内にて祭祀を執行する。
歳旦祭(1月)、元始祭(1月)、建国記念祭(2月11日)、風日祈祭(5月・8月)、天長祭(12月23日)は遥祀を行う。
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豊受大神宮(外宮)摂社
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・序列5位 田上大水神社 (伊勢市藤里町)
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・序列8位 大河内神社 (伊勢市辻久留)
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・序列10位 高河原神社 (伊勢市宮後)
・序列11位 河原神社 (伊勢市御薗町)
・序列12位 河原淵神社 (伊勢市船江)
・序列13位 山末神社 (伊勢市豊川町)
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