神宮125社、内宮・末社 序列3位の末社で式内社 田畑と五穀豊穣の神
[住所]三重県伊勢市中村町742-1
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葭原神社(あしはらじんじゃ)は、三重県伊勢市中村町にある神社。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の末社の一社。内宮末社16社の第3位。伊勢神宮125社めぐりの中で五十鈴川めぐりの一社。

『延喜式神名帳』にある「荻原神社(伊勢国・度会郡)」に比定される式内社(小社)。

内宮の別宮・月讀宮の境内にある。月讀宮の裏参道入り口付近に鎮座し、月讀宮の宮域南端に位置する。

同じく月讀宮の境内にあるものに、内宮別宮である月讀荒御魂宮伊佐奈岐宮伊佐奈弥宮がある。

本来、神宮の末社の場合、式内社ではない、という基準があるが、当社は末社で式内社。

社殿は神明造の板葺で南向きに建っており、一重の玉垣に囲まれている。1基の神明鳥居がある。

社殿の近くに大きなクスノキが茂る。賽銭箱は置かれていない。社地の面積は2畝12歩(約238平方メートル)。

社名の「葭原」はヨシ原を意味し、かつて葭原神社の周辺がヨシの原野であったことが窺える。葭原神社の名は『皇太神宮儀式帳』に記載があり、未官帳入田社とされた。

地域住民からは「伊賀井の森」(いがいのもり)と呼ばれている。これは御祭神の名に由来する。

御祭神は佐佐津比古命(ささつひこのみこと)、宇加乃御玉御祖命(うかのみたまのみおやのみこと)、伊加利比売命(いかりひめのみこと)。三柱とも田畑の守護神で五穀豊穣の神。

佐佐津比古命は大歳神の子とされる。『古事記』には大歳神の子が多く記載されているが、相応する神はいない。

内宮摂社の朽羅神社、内宮末社の加努弥神社、内宮所管社の屋乃波比伎神でも大歳神の子とされる御祭神が祀られている。内宮摂社の朝熊神社伊雑宮所管社の佐美長神社が大歳神を祀っている。

伊加利比売命は「稲刈り」ではないか、とする説などがある。

倭姫命が定めた神社の一社。『皇太神宮儀式帳』(延暦儀式帳)に記載がある。また『日本文徳天皇実録』の天安2年(858年)2月丙戌条には「在伊勢国正六位上葭原神預官社」という記述がある。

『延喜式神名帳』には「荻原神社」とあり、後の時代に当社と荻原神社が同じ神社であるかどうか議論された。

荒木田経雅と薗田守良はともに葭原神社と荻原神社が同じ神社であると判断し、その読みは「あしはら」ではなく「おぎはら」だとした。

明治時代に神宮では、葭原神社と荻原神社が同じ神社であると断定し、読みを「あしはら」とした。

中世に社殿が荒廃し、明治初期には社地不明となっていた。

神宮では明治の初期、社殿が中絶した摂末社21社の再興を目指し、まず明治7年(1874年)、宇治山田神社鴨下神社津布良神社大津神社の再興が実現。

続いて明治8年(1875年)には5社の再興を教部大輔に願い出た。

この願い出は聞き届けられなかったが、明治13年(1880年)に御塩殿神社の東西御倉の古材をもって当社と小社神社の社殿が造営された。残る15社については再興されることはなかった。

当社殿は大正7年(1918年)3月と昭和32年(1957年)7月に建て替えられた。

【ご利益】
田畑の守護神で五穀豊穣の神

皇大神宮(内宮)末社
序列1 鴨下神社 (度会郡玉城町)
序列2 津布良神社 (度会郡玉城町)
序列3 葭原神社 (伊勢市中村町)
序列4 小社神社 (度会郡玉城町)
序列5 許母利神社 (伊勢市二見町)
序列6 新川神社 (伊勢市宇治)
序列7 石井神社 (伊勢市宇治)
序列8 宇治乃奴鬼神社 (伊勢市楠部町)
序列9 加努弥神社 (伊勢市鹿海町)
序列10 川相神社 (伊勢市宇治)
序列11 熊淵神社 (伊勢市宇治)
序列12 荒前神社 (伊勢市二見町)
序列13 那自賣神社 (伊勢市中村町)
序列14 葦立弖神社 (伊勢市楠部町)
序列15 牟弥乃神社 (多気郡多気町)
序列16 鏡宮神社 (伊勢市朝熊町)

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