神宮125社、内宮・摂社 「はいこさん」と親しまれる外城田川の神
[住所]三重県度会郡玉城町佐田字牛カウベ322番地
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狭田国生神社(さたくなりじんじゃ)は、三重県度会郡玉城町佐田にある神社。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の摂社の一社。内宮摂社27社の第26位。伊勢神宮125社めぐりの中で小俣めぐりの一社。

『延喜式神名帳』にある「狭田国生神社(伊勢国・度会郡)」に比定される式内社(小社)。

外城田川左岸に鎮座し、地元の人からは「はいこさん」と呼ばれている。玉城町にある13の摂末社のうちの一社。

社名の「狭田」とは所在地「佐田」に由来するとみられる。また地元通称の「はいこ」とは、御祭神名が変化したものと考えられる。

『勢陽五鈴遺響』では「方俗ハイコ社域ハ寒河社(さむかわしゃ)ト称ス。」とある。

社地の面積は1656平方メートル。社殿は神明造の板葺で南向きに建っており、一重の玉垣に囲まれている。賽銭箱は置かれていない。

御祭神は速川比古命(はやかわひこのみこと)、速川比女命(はやかわひめのみこと)、山末御魂(やまずえのみたま)。

「速川」は外城田川を意味する、川の神。速川比古命と速川比女命の親神である天須婆留女命御魂は、棒原神社で祀られている。山末御魂は土地の守護神。

『倭姫命世記』よれば、倭姫命天照大御神を奉じて小川を渡った時、速川彦命(速川比古命)が「畔広の狭田の国」として神田を献上した。

このことから、倭姫命が「速河狭田社」として定めたのが当社の起源。古代には大宮司によって祝部が任官され、日常の祭祀が捧げられていた。

戦国時代に祭祀が断絶し、荒廃したが、江戸時代前期の寛文3年(1663年)に再興された。

再興には大宮司・精長が尽力した。 大正4年(1915年)1月に社殿の建て替えが行われ、昭和31年(1956年)11月に造り替え、昭和54年(1979年)6月に修繕された。

1月17日に地元の区長らが参拝する習わしがある。内宮の巡回祭祀の形式で祈年祭(2月20日)、月次祭(6月20日・12月20日)、新嘗祭(11月27日)が行われる。

【ご利益】
川の神だが、伝承から勘案すると田の神でもあり、五穀豊穣
狭田国生神社 - 神宮125社、内宮・摂社 「はいこさん」と親しまれる外城田川の神
皇大神宮(内宮)摂社
序列1 朝熊神社 (伊勢市朝熊町)
序列2 朝熊御前神社 (伊勢市朝熊町)
序列3 園相神社 (伊勢市津村町)
序列4 鴨神社 (度会郡玉城町)
序列5 田乃家神社 (度会郡玉城町)
序列6 田乃家御前神社 (度会郡玉城町)
序列7 蚊野神社 (度会郡玉城町)
序列8 蚊野御前神社 (度会郡玉城町)
序列9 湯田神社 (伊勢市小俣町)
序列10 大土御祖神社 (伊勢市楠部町)
序列11 国津御祖神社 (伊勢市楠部町)
序列12 朽羅神社 (度会郡玉城町)
序列13 宇治山田神社 (伊勢市中村町)
序列14 津長神社 (伊勢市宇治)
序列15 堅田神社 (伊勢市二見町)
序列16 大水神社 (伊勢市宇治)
序列17 江神社 (伊勢市二見町)
序列18 神前神社 (伊勢市二見町)
序列19 粟皇子神社 (伊勢市二見町)
序列20 川原神社 (伊勢市佐八町)
序列21 久具都比賣神社 (度会郡度会町)
序列22 奈良波良神社 (度会郡玉城町)
序列23 棒原神社 (度会郡玉城町)
序列24 御船神社 (多気郡多気町)
序列25 坂手国生神社 (度会郡玉城町)
序列26 狭田国生神社 (度会郡玉城町)
序列27 多岐原神社 (度会郡大紀町)

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