神宮125社、外宮・末社 序列7位の外宮宮域内にある“港”の守護神
[住所]三重県伊勢市豊川町
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大津神社(おおつじんじゃ)は、三重県伊勢市豊川町にある神社。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、豊受大神宮(外宮)の境内にある、外宮の末社の一社。外宮末社8社の第7位。伊勢神宮125社めぐりの中で外宮めぐりの一社。

同じく外宮の境内や域内にあるものに、外宮別宮の多賀宮土宮風宮、外宮摂社の度会国御神社度会大国玉比賣神社山末神社、外宮末社の伊我理神社井中神社、外宮所管社の御酒殿神四至神上御井神社下御井神社がある。

外宮の宮域内にあり、北御門脇の小道沿いにある度会国御神社のさらに奥へ進んだところに鎮座する。社殿は玉垣に囲まれている。賽銭箱は置かれていない。

当社の更に先には、上御井神社が鎮座するが、立ち入ることはできない。摂社および末社は神宮式年遷宮の対象とならないため、20年に一度の建て替えは行われない。

御祭神は葦原神(あしはらのかみ)。もとは五十鈴川の河口にある港町の神社(かみやしろ)や大湊の守護神である。どちらにしろ、“港”と関わりが深いと思われる。

創建は未詳。平安時代の初期には度会宮の所管として公認されていたことが確認されている。その後一時期、行方不明となり祭祀が断絶。

明治4年(1871年)、度会県は神祇省に度会郡王中島村(現・伊勢市御薗町王中島)の足穂神社が外宮末社の「大津神社」であると届け出た。

この届出は住民に無断で行われたと見られ、神宮司庁が王中島村の惣代に足穂神社を「大津神社」に改称するよう交渉したところ争論となった。

以後、度会県、神宮司庁、村方の三者で折衝が続けられ、「村内にあるのは足穂社と足穂社境内社の大水社のみであり、大津社の名は古老も聞いたことがない」という村方の主張が認められた。

神宮司庁側に足穂社を大津社だと断定できるだけの証拠を有していなかったことも村方の意見が受容された要因の一つ。

神宮司庁は教部省に対応を諮り、明治6年(1873年)8月に外宮宮域内に新たに社殿を設けるよう通達。

神宮司庁は同年中に現在地に社殿を建設、大津神社の祭祀を再興した。同じタイミングで再興されたものに、宇治山田神社鴨下神社津布良神社がある。

社殿は大正12年(1923年)3月に建て替えが行われた。

【ご利益】
“港”の守護神、水運、海上交通など

豊受大神宮(外宮)末社
序列1 伊我理神社 (伊勢市豊川町)
序列2 縣神社 (伊勢市御薗町)
序列3 井中神社 (伊勢市豊川町)
序列4 打懸神社 (伊勢市辻久留)
序列5 赤崎神社 (鳥羽市鳥羽)
序列6 毛理神社 (伊勢市御薗町)
序列7 大津神社 (伊勢市豊川町)
序列8 志宝屋神社 (伊勢市大湊町)

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