神宮125社、内宮・末社 序列2位の室町期の祭祀「山宮祭」が残る神社
[住所]三重県度会郡玉城町積良字坪垣内1000
[電話]-

津布良神社(つぶらじんじゃ)は、三重県度会郡玉城町にある神社。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の末社の一社。内宮末社16社の第2位。伊勢神宮125社めぐりの中の外城田めぐりの一社。

内宮末社の序列は、鴨下神社に次ぐ。鎮座地の「積良」は墳墓を意味し、荒木田氏の墳墓が山麓にある。

3反3畝15歩(約3322平方メートル)ある社地は大きな森に囲まれている。周囲に石積みをめぐらせ、整然としている。神明造の社殿は灌漑用の池を見下ろす位置に建つ。

御祭神は津布良比古命(つぶらひこのみこと)、津布良比売命(つぶらひめのみこと)。両神とも大水上命(おおみなかみのみこと)の子で、田野の水の神とされる。

大水上命の御魂とされる御裳乃須蘇比売命は、内宮末社の那自賣神社で祀られている。

『皇太神宮儀式帳』によれば、倭姫命が当社を定め、御刀田(神田)を宛てたという。

室町時代には、山宮祭の直会が雨天時に当社拝殿で行われた。戦国時代以降、社地すら不明となってしまう。

当社が廃絶している間に、地域住民は八王子社(八柱神社)を氏神としてその境内地に建てた。

明治に入ると、神宮は八柱神社を「津布良神社」に比定し、現社名へ改称するよう求めた。

積良村の住民はこれに反発し、もし八柱神社を改称するのであれば、同じ境内にもう一つ社殿を建設し、その社殿を八柱神社として村に任せるよう主張。

明治6年(1873年)8月に、八柱神社はそのままとし、新しく当社の社殿を境内に建設することで交渉が妥結した。

翌明治7年(1874年)、宇治山田神社、鴨下神社、大津神社とともに社殿が再興された。八柱神社は、明治40年(1907年)11月30日に外城田神社(後に東外城田神社)へ合祀された。

明治29年(1896年)5月に建て替えが行われた。平成25年(2013年)2月1日放送の三重テレビ放送の番組『お伊勢さん』第2回に当社が登場している。

内宮に合わせて、2月に祈年祭、6月と12月に月次祭、10月に神嘗祭、11月に新嘗祭が行われる。

かつては荒木田氏を祀る「先祖祭」が行われていた。また神社の南にある三つの谷では「山宮祭」が行われた。

山宮祭では荒木田氏が神前に粢(しとぎ、米を水に浸して砕いた物)と木の芽の和え物を備えていた。

三つの谷の一つである積良谷には榊の大木を石で囲んだ祭壇が残っており、荒木田氏による祭祀は途絶えたものの、地域住民によって4月3日に簡素化した祭りが継続されている。

【ご利益】
田野の水の神。祭祀の形態も含め、食物とのゆかりが深く、五穀豊穣。また、地域住民との距離も近いのが特徴

皇大神宮(内宮)末社
序列1 鴨下神社 (度会郡玉城町)
序列2 津布良神社 (度会郡玉城町)
序列3 葭原神社 (伊勢市中村町)
序列4 小社神社 (度会郡玉城町)
序列5 許母利神社 (伊勢市二見町)
序列6 新川神社 (伊勢市宇治)
序列7 石井神社 (伊勢市宇治)
序列8 宇治乃奴鬼神社 (伊勢市楠部町)
序列9 加努弥神社 (伊勢市鹿海町)
序列10 川相神社 (伊勢市宇治)
序列11 熊淵神社 (伊勢市宇治)
序列12 荒前神社 (伊勢市二見町)
序列13 那自賣神社 (伊勢市中村町)
序列14 葦立弖神社 (伊勢市楠部町)
序列15 牟弥乃神社 (多気郡多気町)
序列16 鏡宮神社 (伊勢市朝熊町)

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