神宮125社、内宮・摂社 序列15位の二見浦の御塩の起源となった神社
[住所]三重県伊勢市二見町茶屋字堅田442-2
[電話]-
堅田神社(かただじんじゃ)は、三重県伊勢市二見町にある神社。参宮線の二見浦駅の北約1キロ。御朱印はない。
伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の摂社の一社。内宮摂社27社の第15位。伊勢神宮125社めぐりの中で二見めぐりの一社。
『延喜式神名帳』伊勢国度会郡にある「大國玉比賣神社/大国玉比売神社」と「榎村神社」に比定される式内社(いずれも小社)の論社。
社地の面積は2反5畝11歩(約2516平方メートル)。御神体は石であり、社殿は長さ4.4尺(約1.3メートル)×広さ5尺(約1.5メートル)×高さ6.5尺(約2メートル)である。
御祭神は佐見都日女命(さみつひめのみこと)。土地の神。式内社「大国玉比売神社」の後継であるならば、佐見都日女命は伊勢国の大国玉、すなわち伊勢津彦(いせつひこ)の娘となる。
当社では、同じく内宮摂社で、「大国玉比売神社」の論社である宇治山田神社とともに、「大国玉比売神社」に関する伝承を残しておらず、不明。
当社を「大国玉比売神社」に比定する見解は、度会延経や伴信友が述べており、薗田守良は当社の西に「大国玉比売神社」があったのではないか、と指摘している。
倭姫命が諸国を巡幸し、二見の地を訪れた際に、土地の神である御祭神は倭姫命に堅塩を奉った。倭姫命はこれを喜び、当社を定めた。
しかし、御祭神は倭姫命に進んで堅塩を奉じたわけではなく、倭姫命の質問に一切答えず、黙って堅塩を奉じることで、自らの開拓した土地を差し出すことにせめてもの抵抗を示した、とされる。
これが二見浦で内宮と豊受大神宮(外宮)へ納める御塩を生産する起源となった。倭姫命はその後、当社御祭神名に似ている佐見津日子命と五十鈴川の入り江で会い、現在の江神社を定めた。
当社は一時祭祀が中断したものの、荒木田氏経が永享6年(1434年)に再興し、寛文10年(1670年)に二見が神領に復すると、江戸幕府は領民に祭礼と遷宮を命じ、こぞって奉仕したという。
大正10年(1921年)3月に建て替えが行われている。
同じく二見で、製塩に関係する神社として、内宮所管社の御塩殿神社がある。御塩殿神社では現在も、祭祀に必要な御塩が作られている。
なお、式内社「榎村神社」の論社は他に、多気郡大台町江馬の荻原神社がある。
【ご利益】
塩、転じて生命の根源、地元の神
皇大神宮(内宮)摂社
・序列1位 朝熊神社 (伊勢市朝熊町)
・序列2位 朝熊御前神社 (伊勢市朝熊町)
・序列3位 園相神社 (伊勢市津村町)
・序列4位 鴨神社 (度会郡玉城町)
・序列5位 田乃家神社 (度会郡玉城町)
・序列6位 田乃家御前神社 (度会郡玉城町)
・序列7位 蚊野神社 (度会郡玉城町)
・序列8位 蚊野御前神社 (度会郡玉城町)
・序列9位 湯田神社 (伊勢市小俣町)
・序列10位 大土御祖神社 (伊勢市楠部町)
・序列11位 国津御祖神社 (伊勢市楠部町)
・序列12位 朽羅神社 (度会郡玉城町)
・序列13位 宇治山田神社 (伊勢市中村町)
・序列14位 津長神社 (伊勢市宇治)
・序列15位 堅田神社 (伊勢市二見町)
・序列16位 大水神社 (伊勢市宇治)
・序列17位 江神社 (伊勢市二見町)
・序列18位 神前神社 (伊勢市二見町)
・序列19位 粟皇子神社 (伊勢市二見町)
・序列20位 川原神社 (伊勢市佐八町)
・序列21位 久具都比賣神社 (度会郡度会町)
・序列22位 奈良波良神社 (度会郡玉城町)
・序列23位 棒原神社 (度会郡玉城町)
・序列24位 御船神社 (多気郡多気町)
・序列25位 坂手国生神社 (度会郡玉城町)
・序列26位 狭田国生神社 (度会郡玉城町)
・序列27位 多岐原神社 (度会郡大紀町)
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伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の摂社の一社。内宮摂社27社の第15位。伊勢神宮125社めぐりの中で二見めぐりの一社。
『延喜式神名帳』伊勢国度会郡にある「大國玉比賣神社/大国玉比売神社」と「榎村神社」に比定される式内社(いずれも小社)の論社。
社地の面積は2反5畝11歩(約2516平方メートル)。御神体は石であり、社殿は長さ4.4尺(約1.3メートル)×広さ5尺(約1.5メートル)×高さ6.5尺(約2メートル)である。
御祭神は佐見都日女命(さみつひめのみこと)。土地の神。式内社「大国玉比売神社」の後継であるならば、佐見都日女命は伊勢国の大国玉、すなわち伊勢津彦(いせつひこ)の娘となる。
当社では、同じく内宮摂社で、「大国玉比売神社」の論社である宇治山田神社とともに、「大国玉比売神社」に関する伝承を残しておらず、不明。
当社を「大国玉比売神社」に比定する見解は、度会延経や伴信友が述べており、薗田守良は当社の西に「大国玉比売神社」があったのではないか、と指摘している。
倭姫命が諸国を巡幸し、二見の地を訪れた際に、土地の神である御祭神は倭姫命に堅塩を奉った。倭姫命はこれを喜び、当社を定めた。
しかし、御祭神は倭姫命に進んで堅塩を奉じたわけではなく、倭姫命の質問に一切答えず、黙って堅塩を奉じることで、自らの開拓した土地を差し出すことにせめてもの抵抗を示した、とされる。
これが二見浦で内宮と豊受大神宮(外宮)へ納める御塩を生産する起源となった。倭姫命はその後、当社御祭神名に似ている佐見津日子命と五十鈴川の入り江で会い、現在の江神社を定めた。
当社は一時祭祀が中断したものの、荒木田氏経が永享6年(1434年)に再興し、寛文10年(1670年)に二見が神領に復すると、江戸幕府は領民に祭礼と遷宮を命じ、こぞって奉仕したという。
大正10年(1921年)3月に建て替えが行われている。
同じく二見で、製塩に関係する神社として、内宮所管社の御塩殿神社がある。御塩殿神社では現在も、祭祀に必要な御塩が作られている。
なお、式内社「榎村神社」の論社は他に、多気郡大台町江馬の荻原神社がある。
【ご利益】
塩、転じて生命の根源、地元の神

皇大神宮(内宮)摂社
・序列1位 朝熊神社 (伊勢市朝熊町)
・序列2位 朝熊御前神社 (伊勢市朝熊町)
・序列3位 園相神社 (伊勢市津村町)
・序列4位 鴨神社 (度会郡玉城町)
・序列5位 田乃家神社 (度会郡玉城町)
・序列6位 田乃家御前神社 (度会郡玉城町)
・序列7位 蚊野神社 (度会郡玉城町)
・序列8位 蚊野御前神社 (度会郡玉城町)
・序列9位 湯田神社 (伊勢市小俣町)
・序列10位 大土御祖神社 (伊勢市楠部町)
・序列11位 国津御祖神社 (伊勢市楠部町)
・序列12位 朽羅神社 (度会郡玉城町)
・序列13位 宇治山田神社 (伊勢市中村町)
・序列14位 津長神社 (伊勢市宇治)
・序列15位 堅田神社 (伊勢市二見町)
・序列16位 大水神社 (伊勢市宇治)
・序列17位 江神社 (伊勢市二見町)
・序列18位 神前神社 (伊勢市二見町)
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・序列20位 川原神社 (伊勢市佐八町)
・序列21位 久具都比賣神社 (度会郡度会町)
・序列22位 奈良波良神社 (度会郡玉城町)
・序列23位 棒原神社 (度会郡玉城町)
・序列24位 御船神社 (多気郡多気町)
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・序列27位 多岐原神社 (度会郡大紀町)
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