神宮125社、外宮・別宮 風日祈宮(内宮・別宮)とともに昇格した風の神
[住所]三重県伊勢市豊川町
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風宮(かぜのみや)は、三重県伊勢市豊川町にある神社。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、豊受大神宮(外宮)の境内にある、外宮・別宮の一社。伊勢神宮125社めぐりの中で外宮めぐりの一社。

同じく外宮の境内や域内にあるものに、外宮別宮の多賀宮土宮、外宮摂社の度会国御神社度会大国玉比賣神社山末神社、外宮末社の伊我理神社井中神社大津神社、外宮所管社の御酒殿神四至神上御井神社下御井神社がある。

御祭神は、級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)。御祭神が皇大神宮(内宮)の別宮・風日祈宮と同じ。

長徳3年(997年)の『長徳検録』に「外宮所管の田社32前の4位の風社」と記されたとの、度会家行による『類聚神祇本源』での引用が最古。当時は風社と呼ばれ、現在の末社に相当し、低い地位だった。

しかし、内宮別宮・風日祈宮が当時風神社だったころのように、風社も農耕に都合のよい風雨をもたらす神であることから、風日祈祭が行なわれ、神嘗祭では懸税(かけちから、稲穂)が供えられるなど重視されてきた。

『吾妻鏡』に文治3年(1187年)、源頼朝が神宮に8頭の神馬を奉納したとある。その時、外宮権禰宜の度会光生が取り次いでいるので、風社のこととされるが、風神社の可能性もある。

弘安4年(1281年)の元寇では朝廷より為氏大納言が勅使として神宮に派遣され、風神社とともに祈祷を行なった。

日本に押し寄せた元軍は退却し、日本にとっての国難は去り、これを神風による勝利として、正応6年(1293年)に風神社とともに別宮に昇格、それぞれ風日祈宮と風宮となった。

江戸時代末期に欧米諸国が日本を訪れるようになり、文久3年(1863年)5月に朝廷は風日祈宮とともに攘夷の祈願を15日間行なった。

明治9年(1876年)の伊勢暴動の際には、同じ外宮の別宮である月夜見宮近隣の町が炎上し、宮への類焼が懸念されたことから、月夜見宮の御神体が一時的に風宮へ移された。

毎年5月14日と8月4日に風雨の順調と五穀の豊穣を祈る風日祈祭が行なわれる。社殿は外宮に準じ外削ぎの千木と、5本で奇数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している。

遷宮のための古殿地は東西に隣接している。

【ご利益】
五穀豊穣、万難排除、順風満帆

豊受大神宮(外宮)別宮
序列1 多賀宮 (伊勢市豊川町)
序列2 土宮 (伊勢市豊川町)
序列3 月夜見宮 (伊勢市宮後)
序列4 風宮 (伊勢市豊川町)

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