神宮125社、外宮・別宮 ツクヨミとその荒魂を同じ社殿で祀る神社
[住所]三重県伊勢市宮後1-3-19
[電話]0596-24-1111 - 神宮司庁

月夜見宮(つきよみのみや)は、三重県伊勢市宮後にある神社。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、豊受大神宮(外宮)の境内にある外宮・別宮の一社。伊勢神宮125社めぐりの中で外宮めぐりの一社。

『延喜式神名帳』にある「月夜見神社(伊勢国・度会郡)」に比定される式内社(小社)。

境内に外宮の摂社・高河原神社がある。外宮の別宮の中では唯一の宮域外にある。

御祭神は月夜見尊(つきよみのみこと)、月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)。荒魂を同一社殿で祀る。

御祭神が月夜見尊と関係するものに、内宮の別宮である月讀宮月讀荒御魂宮、内宮の摂社である川原神社、外宮の摂社である高河原神社がある。

内宮では、月讀宮、月讀荒御魂宮の二つで、月夜見尊とその荒魂を別々に祀っている。

古くは高河原(たかがわら)と呼ばれ、農耕の神を祀る神社であったという。第60代醍醐天皇の御世、927年(延長5年)の延喜式では外宮摂社の首位とされた。

『止由気宮儀式帳』では「月讀神社」、『延喜式神名帳』では「月夜見神社」、『伊勢大神宮式』では「月夜見社」と記載する。承元4年(1210年)に別宮に昇格した。

明治時代に外宮別宮の「つきよみのみや」は「月夜見宮」、内宮別宮の「つきよみのみや」は「月讀宮」と表記するようになった。

明治9年(1876年)の伊勢暴動の際には近隣の町が炎上し、当宮への類焼が懸念されたことから、御神体を一時的に同じ外宮の別宮である風宮に移した。

第二次世界大戦中の昭和20年(1945年)7月29日に宇治山田空襲があったが、周辺の住宅がすべて焼失した中で、軍隊による懸命の消火活動と、萱葺屋根に突き刺さった焼夷弾が不発だったため、当宮の社殿だけが焼け跡に建っているという状態だった。

皇大神宮(内宮)に準じた祭事が行なわれ、祈年、月次、神嘗、新嘗の諸祭には皇室からの幣帛がある。

月夜見宮の社殿は外宮に準じ外削ぎの千木と、5本で奇数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している。遷宮のための古殿地は東西に隣接している。

外宮に準じ、20年に一度遷宮が行われる。

その昔、月夜見宮の所在地の宮後町の民が役木を曳いて八日市場町にさしかかった時、宮後町で火事が起き、曳き手が消火のため帰ってしまった。

そこで、八日市場町の民が代わって役木を曳き、それ以来御木曳初式(おきひきぞめしき)では八日市場町の民が当宮に役木を奉曳することになったとの伝承がある。

外宮の北御門(きたみかど)から月夜見宮までの、幅員4メートル程度の1直線の道は「神が通る道」とされ、「神路通り(かみじどおり)」と呼ばれる。

総延長は約300メートル。夜更けに御祭神が境内の石垣の1つを白馬に変え、外宮の御祭神豊受大神のもとへ通う道とされる。

伊勢の神宮125社で御朱印が頂ける一社

【ご利益】
光華明彩しく、六合の内に照り徹らせり
月夜見宮 三重県伊勢市宮後
豊受大神宮(外宮)別宮
序列1 多賀宮 (伊勢市豊川町)
序列2 土宮 (伊勢市豊川町)
序列3 月夜見宮 (伊勢市宮後)
序列4 風宮 (伊勢市豊川町)

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月夜見宮の御朱印