神宮125社、内宮・別宮 元寇の国難を拝して別宮に昇格した風の神
[住所]三重県伊勢市宇治館町
[電話]0596-24-1111 - 神宮司庁

風日祈宮(かざひのみのみや)は、三重県伊勢市宇治館町にある神社。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の境内にある内宮・別宮の一社。伊勢神宮125社めぐりの中で内宮めぐりの一社。

同じく内宮の境内にあるものに、内宮別宮の荒祭宮、内宮所管社の滝祭神御酒殿神御稲御倉由貴御倉四至神がある。

御祭神は級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)。御祭神が豊受大神宮(外宮)の別宮・風宮と同じ。

延暦23年(804年)の『皇太神宮儀式帳』の「風神社」(ふうじんのやしろ)が初出。当時は現在の末社に相当する、低い地位だった。

『吾妻鏡』に文治3年(1187年)、源頼朝が神宮に8頭の神馬を奉納したとある。

その時の宮社の風が風神社とされるが、外宮権禰宜の度会光生が取り次いでいるので、外宮の風社(現在の風宮)の可能性もある。

末社相当とはいえ、御祭神が農耕に都合のよい風雨をもたらす神であることから、風日祈祭が行なわれ、神嘗祭では懸税(かけちから、稲穂)が供えられるなど重視された。

弘安4年(1281年)の元寇では、朝廷より二条為氏大納言が勅使として派遣され、風神社と風社で祈祷を行なった。

日本に押し寄せた元軍は退却し、日本にとっての国難は去り、これを神風による勝利として、正応6年(1293年)に風神社と風社は別宮に昇格、この時、現宮名となり、外宮の風社も風宮となった。

江戸時代末期に欧米諸国が日本を訪れるようになり、文久3年(1863年)5月に朝廷は当宮と風宮で攘夷の祈願を15日間行なった。

昭和50年(1975年)9月5日昼過ぎ、風日祈宮の社殿瑞垣御門の扉に向けて、ビール瓶に油を詰めた火炎瓶が投げられた。油に火がつき扉は炎上したものの、大事には至らなかった。

折から三重県で開催されていた国民体育大会・三重国体への皇太子行啓に合わせて過激派が起こした犯行と見られ、近くからは天皇訪米に反対する旨主張するビラが見つかった。

世に言う風日祈宮放火事件。

当社が鎮座する内宮の神苑は例年、11月下旬から12月上旬にかけて紅葉の見頃となり、紅葉の名所。色づき始めた木々たちが五十鈴川の水面に映り、秋の訪れを感じさせる。

【ご利益】
五穀豊穣、万難排除、順風満帆

皇大神宮(内宮)別宮
序列1 荒祭宮 (伊勢市宇治)
序列2 月讀宮 (伊勢市中村町)
序列3 月讀荒御魂宮 (伊勢市中村町)
序列4 伊佐奈岐宮 (伊勢市中村町)
序列5 伊佐奈弥宮 (伊勢市中村町)
序列6 瀧原宮 (度会郡大紀町)
序列7 瀧原竝宮 (度会郡大紀町)
序列8 伊雑宮 (志摩市磯部町)
序列9 風日祈宮 (伊勢市宇治)
序列10 倭姫宮 (伊勢市楠部町)

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