神宮125社、内宮・別宮 ヤマトヒメゆかりの元伊勢の一つ、和魂を祀る
[住所]三重県度会郡大紀町滝原872
[電話]0598-86-2018

瀧原宮(たきはらのみや)は、三重県度会郡大紀町にある神社。滝原宮とも。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の別宮の一社。伊勢神宮125社めぐりの中で滝原めぐりの一社。

『延喜式神名帳』にある「瀧原宮(伊勢国・度会郡)」に比定される式内社(大社)。

『倭姫命世記』にある「大河之滝原之国」の伝承地で、元伊勢の一つ。境内に内宮の別宮である瀧原竝宮、当宮の所管社である若宮神社長由介神社川島神社がある。

御祭神は天照大御神御魂(あまてらすおおみかみのみたま)の和御魂(にぎみたま)。荒魂を祀る瀧原竝宮と対応している。また、内宮・別宮の荒祭宮でも荒魂を祀る。

『倭姫命世記』によると、第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が、宮川下流の磯宮(いそのみや)より天照坐皇大御神(天照大神)を祀る地を探すために上流へ遡った。

そこに、宮川支流大内山川の流域に「大河之滝原之国」という美しい場所があった。

そこで宇陀以来の側近の宇太乃大称奈に草木を刈らせ新宮を建てたが、その後すぐに神意により現在の内宮のある伊勢市宇治館町に新宮(五十鈴宮)を建てた。

そこで、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)を祀る別宮となった。

天照大神を過去に祀っていた場所を元伊勢と呼ぶが、元伊勢で別宮なのは当宮だけ。

瀧原の手前で倭姫命を出迎えたとされる真奈胡神(まなごのかみ)を祀る多岐原神社(たきはらじんじゃ)が下流約6キロにあり、現在は内宮摂社の一社になっている。

第二次世界大戦末期、米軍のB-29から数発の焼夷弾を投下され、宮域で最大であった推定樹齢300年の太郎杉や次郎杉が被災し枯れた。

太郎杉は昭和29年(1954年)に伐採され、輪切りの標本が神宮徴古館農業館に展示されることになった。

昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で豊受大神宮(外宮)や内宮の正宮は多くの神宮杉(宮域の杉巨木)を失ったが、当宮では被害が小さかったため、現在は正宮より杉の巨木が目立つようになった。

正宮に準じて20年ごとに本殿が新築移動される。古殿地・新御敷地と呼ばれる式年遷宮のための空き地が所管社の脇にある。

現在では、式年遷宮のためのお木曳行事が正宮に準じ20年に一度行なわれるが、1年次のみ。

内宮に準じた祭事が行なわれ、祈年、月次、神嘗、新嘗の諸祭には皇室からの幣帛がある。

伊勢の神宮125社で御朱印が頂ける一社

【ご利益】
内宮と同一としての、「光華明彩しく、六合の内に照り徹らせり」(日本書紀「光華明彩、照徹六合之内」)。

所管社
序列1 若宮神社 (度会郡大紀町)
序列2 長由介神社 (度会郡大紀町)
序列3 川島神社 (度会郡大紀町)

皇大神宮(内宮)別宮
序列1 荒祭宮 (伊勢市宇治)
序列2 月讀宮 (伊勢市中村町)
序列3 月讀荒御魂宮 (伊勢市中村町)
序列4 伊佐奈岐宮 (伊勢市中村町)
序列5 伊佐奈弥宮 (伊勢市中村町)
序列6 瀧原宮 (度会郡大紀町)
序列7 瀧原竝宮 (度会郡大紀町)
序列8 伊雑宮 (志摩市磯部町)
序列9 風日祈宮 (伊勢市宇治)
序列10 倭姫宮 (伊勢市楠部町)

【関連記事】
伊勢の神宮とは? - 通称:伊勢神宮、正宮・外宮・摂末社・所管社全125社の一覧
伊勢神宮125社めぐり - 整理すると73の社・境内、10の“めぐり”でコンプリート目指す
滝原めぐり - 伊勢神宮125社めぐり、三重県度会郡大紀町、全6社

『倭姫命世記』(14) - ヤマトヒメ「大河之滝原之国」へ、久求都彦と出会う
元伊勢「大河之滝原之国」(おおかわのたきはらのくに) - 瀧原宮、無言の抵抗示した姫は?
三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
瀧原宮の御朱印