香取・鹿島とともに東国三社、謎のトライアングル、武神の道案内の神
[住所]茨城県神栖市息栖2882
[電話]0299‐92‐2300

息栖神社(いきすじんじゃ)は、茨城県神栖市にある神社。『日本三代実録』で「於岐都説神」と記される国史見在社。近代社格は県社香取神宮鹿島神宮とともに東国三社と呼ばれる。

また、両神宮が武神に対して、その乗り物の役目として国譲り神話に登場する神が祀られていることでも知られる。

当社を頂点とし、およそ北方に鹿島神宮、西方に香取神宮という形でラインを引くと、きれいな(ほぼ)二等辺三角形になることでも知られ、「謎のトライアングル」とも呼ばれる。

主祭神は久那戸神(くなどのかみ、岐神)で、一般的には古事記に登場するミチマタノカミと同神とされる。

しかし、当社の社伝では、鹿島神・香取神による葦原中国平定において、東国への先導にあたった神、としている。なお江戸時代の文書では、主神を気吹戸主神とする説もある。

相殿神は天鳥船命(あめのとりふねのみこと)と住吉三神底筒男命中筒男命表筒男命の三柱)。

社伝では、第15代応神天皇の代に日川の地(にっかわ:現・神栖市日川)に創建されたという。

その後大同2年(807年)4月13日、藤原内麻呂によって現在地に移転したと伝える。元亨元年(1321年)の古文書で「おきすのやしろ」と記され、「おきす」と呼ばれていたことが分かっている。

この「おきつせ・おきす = 沖洲」という古称から、香取海に浮かぶ沖洲に祀られた神とも見られている。

御祭神が久那戸神(岐神)・天鳥船命・住吉三神であることからも水上交通の神としての側面が強い。鹿島・香取同様に東国開発の一拠点であったという見方もある。

地理的な関係から鹿島神宮の影響が強く、当社は同神宮の摂社とみなされていた。当社社伝にはそれを示す記述はなく、鹿島神宮側は当社を独立した神社とした上で、自身の摂社と主張している。

朝廷からの崇敬も受け、元寇の際に国家安泰を祈願するために勅使が派遣されたという。

江戸時代、「下三宮参り」と称して関東以北の人々が伊勢神宮参拝後に東国三社を巡拝する慣習があったという。参拝客が利用する息栖の河岸は利根川水運の拠点として、江戸時代から大正時代まで栄えた。

社殿は戦後の昭和35年(1960年)に火災で焼失。焼失した社殿は享保7年(1722年)造営で、華麗なものであったという。現在の社殿は、3年後の昭和38年(1963年)の再建のもの。

一の鳥居の両側には「忍潮井(おしおい)」と呼ばれる二つの井戸があり、「日本三霊泉」の一つという。当社ではご神体。社伝では、神功皇后3年に造られたとし、日川からの移転に際して後から自力でついてきた、と伝わる。

参拝すれば、御朱印を頂ける。特に、「東国三社」などと大書されている場合がある。また、手子后神社大洗磯前神社とともに「鹿島神宮の三摂社」と称されてきたと言われる場合がある。

【ご利益】
除厄招福、交通安全、海上守護。(パンフレット(PDF))
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