世界遺産「富士山」の一社、創祀は孝昭天皇期、修験道で賑わう
[住所]静岡県富士宮市村山1151
[電話]0544-22-1111

村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)は、静岡県富士宮市村山にある神社。御祭神は主祭神が木花咲耶姫命。近代社格は県社。富士根本宮と号する。全国にある浅間神社の一社。

ユネスコの世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つ。国の史跡「富士山」の一部。

配神は、中座に木花開耶姫、左座に主祭神の父である大山祗命、子である彦火火出見命、夫である瓊々杵命、右座に夫の祖母にあたる天照大神、アマテラスの父である伊弉諾尊伊弉冉尊となる。

鎮座地は富士山村山口登山道の要所。社伝によれば、第5代孝昭天皇2年に富士山中腹の水精ケ岳に創建され、第10代崇神天皇朝に神領地や神戸を賜り、第15代応神天皇朝に社殿修造、大宝元年(701年)に現在地へ遷座した。

中世になると末代上人が富士山を修験の霊山として開くが、その末代が現境内地に堂舎を構え、以後富士山に対する神仏習合の地として発展した。元は富士山興法寺を構成する一つであり、付属する7坊を有して多くの修験者の信仰の中心として仰がれた。

駿河国を領した今川氏も深く崇敬し、天文2年(1533年)と同4年に氏輝が神領を安堵して山内諸末社の賽銭を領することを許し、義元は職員を補任し、山内の法度を定めるなどほとんど今川家直轄の姿を示していた。

豊臣秀吉が天下を統一すると村山郷内に神領75石を安堵し、江戸時代には将軍家から94石5斗の朱印領が寄せられ、高松藩主松平家を始めとする大名や旗本等も代参を遣わして寄進、祈祷をなすなど武家による崇敬も盛んだった。

また社殿の修造には九条関白家を始めとする公家衆からの寄進があった。それとともに諸国からの修験者も蝟集し、その勢いは富士山本宮浅間大社と拮抗するほど、とも言われた。

明治期の修験道廃止令によって神道専一の形となり、明治39年(1906)の登山新道の開削により、登山道から外れたこともあって、逆に往時の賑わいを失うことになる。しかし、修験道は禁止されたものの、村山の法印(ほうえん)の活動は1940年代まで続けられた。

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