富士山山中に最初に勧請された神社、世界遺産「富士山」の一部
[住所]山梨県南都留郡富士河口湖町勝山
[電話]0555-83-2399

冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)は、山梨県南都留郡富士河口湖町にある神社。近代社格は県社。現在は神社本庁の別表神社

全国にある浅間神社の一社で、旧称は小室浅間明神。ユネスコの世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つ。国の史跡「富士山」の一部。

本宮と里宮からなる。本宮である山宮は富士山吉田口登山道の二合目に鎮座する。この山宮の境内は富士吉田市の中にある富士河口湖町勝山の飛び地である。

富士山山中に最初に勧請された神社とされている。里宮は河口湖畔の勝山に鎮座する。御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。

文武天皇3年(699年)に藤原義忠によって創建されたと伝わる。社名の「御室」は、かつて祭祀を石柱をめぐらせた中で執り行っていたことによるもの。

天徳2年(958年)には、村上天皇により、氏子の祭祀の利便のため河口湖の南岸に里宮が創建された。中世には修験道、近世には富士講と結びついて発展。戦国時代には甲斐武田氏の崇敬を受けた。現在の社殿は、明治22年に再建されたもの。

現在の本殿は、慶長17年(1612年)に徳川家の家臣の鳥居成次によって建てられた。その後4回の大改修を経て、昭和48年(1973年)に富士山二合目から里宮に移築された。桃山時代の特徴を有し、国の重要文化財に指定されている。

別当を務めていた小佐野越後守は、戦国時代に小山田氏より境域の尊厳を取り立てさせ、諸役免許や 山中警護役を免許されている。また武田氏より他国の浅間神社を管轄することを任されている。

毎年4月29日に行われる流鏑馬は、天慶3年(940年)に藤原秀郷が平将門の乱を鎮定した帰り、戦勝を祝って御礼祭を行って流鏑馬を奉納したことから始まる。現在は、武田流流鏑馬神事として行われている。

【ご利益】
厄払い、交通安全、家内安全、商売繁盛、社運隆昌、無病息災など(公式HP
冨士御室浅間神社 - 富士山山中に最初に勧請された神社、世界遺産「富士山」の一部
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