秀頼、宣長らが授かった「子守明神」、聖母二柱祀る世界遺産の古社
[住所]奈良県吉野郡吉野町吉野山字子守
[電話]0746-32-3012
吉野水分神社の位置
吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は、奈良県吉野郡吉野町にある神社。

『延喜式神名帳』にある「吉野水分神社(大和国・吉野郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)。近代社格では村社。

ユネスコの世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。葛木水分神社都祁水分神社宇太水分神社(中社)とともに大和国四所水分社の一つとして古くから信仰されてきた。

神名帳の他に、『延喜式』巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「吉野水分社一座」とあり、祈雨神祭85座に含まれる。

水を司る天之水分大神を主祭神とし、高皇産霊神少名彦神、御子神、天津彦火瓊瓊杵命玉依姫命天萬栲幡千幡比咩命を配祀する。

当社に関する最も古い記録は、『続日本紀』の文武天皇2年(698年)4月29日条で、芳野水分峰神に馬を奉り祈雨したというもの。

当社は元来、吉野山の最奥部、吉野町、黒滝村、川上村の境に位置する青根ヶ峰に位置したとされる。大同元年(806年)ごろ、現在地へ遷座した。前防家が社家。

平安時代中期ごろから「みくまり」が「みこもり」となまり、「子守明神」と呼ばれるようになった。豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったといわれる。

現在の社殿は慶長10年(1605年)に秀頼によって創建されたもの。江戸期、宣長の両親の子守明神への祈願により本居宣長が授けられたとも。

国宝「木造玉依姫命坐像」がある。絵巻に描かれている女性の姿を彫刻に再現したかと思わせる女神像。鎌倉時代の作。像内に建長3年(1251年)の銘がある。

日本神話には複数のタマヨリが登場するが、初代神武天皇の母としてなどが有名。ご神体であり、一般公開はされず、展覧会などの出品歴もない。

重要文化財として、慶長10年(1605年)に豊臣秀頼によって創建された社殿(6棟)などがあり、また、御祭神で、タカミムスヒノカミの娘、天孫ニニギの母にあたる木造天万栲幡千幡姫命坐像がある。

例祭は10月第3土曜日。

【ご利益】
子守、子宝、子授かり(吉野山観光協会
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