謎の御祭神、尊崇厚くも中世以降衰退、明治期復興して鹽竈神社と合併
[住所]宮城県塩竈市一森山1番1号
[電話]022-367-1611 - 志波彦神社・鹽竈神社

志波彦神社(しわひこじんじゃ)は、宮城県塩竈市一森山にある神社。御祭神は志波彦神(しわひこのおおかみ)で、記紀に一切見えない神。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「志波彦神社(陸奥国・宮城郡)」に比定される式内社(名神大社)。

志波とは「物のシワ」つまり端を指す言葉とされ、仙台市内に志和町、栗原郡志波姫町に志波姫神社(式内社)、岩手県紫波郡に志波城跡、志和稲荷神社・志和古稲荷神社と「シワ」の名を持つ場所が点在している。

これは大和朝廷の統治範囲が北進するにつれ、シワの地(朝廷勢力圏の端)が遷っていったことによるものと思われ、この地方で信仰されていた国津神(土着神)を志波彦神あるいは志波姫神と呼んだもの、と当社公式HPでは説明している。

しかし、農耕守護・殖産・国土開発の神としての信仰が伝わっていたことは間違いない。

また、後述するように、当社が鹽竈神社境内に遷された理由に、鹿島香取両神宮の御祭神、つまり鹽竈神社の左宮御祭神右宮御祭神による東北地方平定に協力した神であったため、とされている。

その意味で、志波彦神は、鹽竈神社の御祭神である塩土老翁神と同じ性質(武甕槌命・経津主神の両神をほう助)を持ち合わせており、志波彦神と塩土老翁神の両神を同体とする説もある。

飛鳥時代の天智天皇3年(665年)に初めて官幣が使わされたとされ、名神大社として尊崇を受けるが、中世以降は衰微。

安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)には火災により神具や縁起などの資料を失い、延宝3年(1675年)の再建時には六尺四方の小さな社殿となって、岩切村の牛頭天王社(現 八坂神社)に合祀されていた。

明治時代になると、名神大社だった経歴で、近代社格制度における国幣中社に列せられたために、大きな社殿の造営の準備が進められ、八坂神社境内では社地が狭かったため、鹽竈神社境内に遷宮した。

八坂神社境内の旧社殿はそのまま残し、「冠川神社」として摂社となっている。

国幣中社の当社が遷ったことで、鹽竈神社も国幣中社に列し、一体化。戦後、近代社格制度がなくなると、志波彦神社・鹽竈神社として、現在は神社本庁の別表神社となっている。

摂社に式内社(名神大社)の「鼻節神社」がある。

志波彦神社・鹽竈神社として、境内は、モミジやカエデの紅葉が美しい紅葉の名所として有名。例年10月末に色づき始め、11月中旬に見頃となる。

また、鹽竈神社とともに、臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。

【ご利益】
農耕守護・殖産・国土開発の神
志波彦神社 - 謎の御祭神、尊崇厚くも中世以降衰退、明治期復興して鹽竈神社と合併
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