応神皇子・大山守命の采配で創祀された、但馬開拓の「海部直」ゆかりの古社
[住所]兵庫県豊岡市気比字絹巻2585-1
[電話]0796-28-2468

絹巻神社(きぬまきじんじゃ)は、兵庫県豊岡市気比絹巻にある神社。

『延喜式神名帳』にある「海神社(但馬国・城崎郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では村社。但馬五社の一社。

御祭神は天火明命(あまのほあかりのみこと)、海部直命(あまのあたえのみこと)、天衣織女命(あまのえおりめのみこと)。

第15代応神天皇3年4月、大山守命が山海の政を執ることになった時、大山守命は多遅麻黄沼県主武身主命の子である海部直命に多遅麻の海政を執らし、その姓を海部直と称することを許した。

古事記にも記載されている、大山守命が皇太子の地位を逃し、父・応神天皇から遠ざけられた説話の後日談となっており、興味深い。

なお、海部直でいえば、『古事記』にはキビノアマベノアタエが記載されている。第16代仁徳天皇の妃の一人であるクロヒメの父。

海部直命はその後、自分の始祖である天火明命を黄沼前県に祀り、清明宮(すがみや)と称した。

仁徳天皇10年8月、海部直命は城崎郡司を兼ねることになり、黄沼県を海部村(小島)に置き、多遅麻の海人を領し、清明宮を海部村に属する絹巻山に遷還した。現在の当社である。

第17代履中天皇の御代、海部直の子、西刀宿禰(せとのすくね)が城崎郡司となり、西刀宿禰に命じ瀬戸の水門(切戸)の浚渫を行った。以来、円山川沿岸は洪水禍をまぬがれたと伝えられている。

式内社「海神社」は、『続日本後紀』承和9年(842年)10月乙亥条に官社に預り、『日本三代実録』貞観10年(868年)12月27日丙戌条で、神階従五位下から従五位上に進叙した。

同じく但馬国の名神大社である山神社戸神社雷神社㯮椒神社と官社列格、従五位上昇叙は同時。

絹巻山は暖地性原生林として天然記念物の指定を受けており、「ヒメハルゼミ」の生息地として奈良の春日山と共に知られている。

なお、元伊勢で名高く、国宝である「海部氏系図」を所有する京都府宮津市の籠神社も「海部直」の出自。

天衣織女命は、天棚機姫神・棚機姫命とも。『古語拾遺』に、アマテラスが天岩戸に隠された際、アマテラスに献上する神衣和衣を織った神で、機織の神として知られる。

主祭神はアマテラスの孫、つまり天孫(ニニギの兄)ではあるが、当社でなぜ天衣織女命が祀られているのか、その由来に関して情報が皆無。

兵庫県豊岡市小島に海神社があり、飛鳥時代に当社の相殿に移され、明治になって、現在地に遷座したことから、これが式内社ともされている。

【ご利益】
この地方の開拓の神、治水、水の神、山海の恵みなど
絹巻神社 - 応神皇子・大山守命の采配で創祀された、但馬開拓の「海部直」ゆかりの古社
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