相模国三宮、トヨクモノノカミ、タマノオヤなど祀る1万年前からの聖地
[住所]神奈川県伊勢原市三ノ宮1472
[電話]0463-95-3237
比々多神社(ひびたじんじゃ)は、神奈川県伊勢原市三ノ宮にある神社。所在地名の「三ノ宮」は当社にちなむ。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 相模国 大住郡「比比多神社」に比定される式内社(小社)の論社の一社。相模国三宮で、相模五社の一社。近代社格では郷社。
主祭神は豊斟渟尊、天明玉命、稚日女尊、日本武尊、相殿神は大酒解神(大山祇神)、小酒解神(木花咲耶姫)。
当社は初代神武天皇の天下平定の際に、人々を護るために建立されたとしている。
神武天皇6年のこと、人々が古くから祭祀の行われていた当地を最良と選定し、大山を神体山とし、豊斟渟尊を日本国霊として祀ったことを起源としていると伝わる。
第10代崇神天皇7年に神地神戸を寄せられ、第11代垂仁天皇27年8月には神祇官が詔を受け弓矢を奉幣した。
飛鳥時代の大化元年(645年)、大酒解神と小酒解神の2柱を合祀し、その際「鶉瓶」と呼ばれる須恵器が納められたという。
境内および近隣から発掘された遺跡遺物から推測して、縄文時代中期の環状配石中にある立石こそ祭祀遺跡であり、当社の淵源は1万年以上前の原初的な神社信仰にまで遡る可能性も指摘されている。
毎年5月5日に相模国の一宮から五宮、そして総社が参加して行われる国府祭(こうのまち)では、当社も参加するが、中でも神揃山(神集山)で行う「チマキ撒き」と「暴れ神輿」で当社は知られている。
市内の落幡神社、北金目神社、真田神社、上粕屋790の五霊神社、秦野市鶴巻の石座神社などを兼務している。
別名「子易明神」で、同市上粕屋の比比多神社も式内社「比比多神社」の論社の一つ。
【ご利益】
開発、発明、縁結び、子宝、安産、出世、開運、除災、交通、酒業、山火鎮護など(公式HP)
【関連記事】
・相模五社とは? - 一宮・寒川、二宮・川勾、三宮・比々多、四宮・前鳥、五宮格の平塚八幡宮
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
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『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 相模国 大住郡「比比多神社」に比定される式内社(小社)の論社の一社。相模国三宮で、相模五社の一社。近代社格では郷社。
主祭神は豊斟渟尊、天明玉命、稚日女尊、日本武尊、相殿神は大酒解神(大山祇神)、小酒解神(木花咲耶姫)。
当社は初代神武天皇の天下平定の際に、人々を護るために建立されたとしている。
神武天皇6年のこと、人々が古くから祭祀の行われていた当地を最良と選定し、大山を神体山とし、豊斟渟尊を日本国霊として祀ったことを起源としていると伝わる。
第10代崇神天皇7年に神地神戸を寄せられ、第11代垂仁天皇27年8月には神祇官が詔を受け弓矢を奉幣した。
飛鳥時代の大化元年(645年)、大酒解神と小酒解神の2柱を合祀し、その際「鶉瓶」と呼ばれる須恵器が納められたという。
境内および近隣から発掘された遺跡遺物から推測して、縄文時代中期の環状配石中にある立石こそ祭祀遺跡であり、当社の淵源は1万年以上前の原初的な神社信仰にまで遡る可能性も指摘されている。
毎年5月5日に相模国の一宮から五宮、そして総社が参加して行われる国府祭(こうのまち)では、当社も参加するが、中でも神揃山(神集山)で行う「チマキ撒き」と「暴れ神輿」で当社は知られている。
市内の落幡神社、北金目神社、真田神社、上粕屋790の五霊神社、秦野市鶴巻の石座神社などを兼務している。
別名「子易明神」で、同市上粕屋の比比多神社も式内社「比比多神社」の論社の一つ。
【ご利益】
開発、発明、縁結び、子宝、安産、出世、開運、除災、交通、酒業、山火鎮護など(公式HP)
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