東国でおそらく唯一、応神皇太子・和紀郎子を御祭神とする相模国四宮
[住所]神奈川県平塚市四之宮4-14-26
[電話]0463-55-1195
前鳥神社(さきとりじんじゃ)は、神奈川県平塚市四之宮にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 相模国 大住郡「前鳥神社」に比定される式内社(小社)。相模国四宮で、近代社格では郷社。
相模五社の一社。所在地名「四之宮」は平安時代から使われていることが確認されており、当社が鎮座していることにちなむもの。
御祭神は、菟道稚郎子命(うぢのわきいらつこのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)の3柱で、総称して「前鳥大神」と呼ばれる。
しかし、大山咋命は明治期に、日本武尊は昭和になって合祀されたもので、もともとは宇遅能和紀郎子だけだった。
宇遅能和紀郎子は『古事記』の主役の一人と言ってもよいが、祭神として祀っている神社は極めて少ない。
本人ゆかりの京都府宇治市にある宇治神社や宇治上神社はよく知られているものの、東国では当社が唯一とも言われている。
実際には栃木県下都賀郡野木町に野木神社がある。
第15代応神天皇の皇太子だった宇遅能和紀郎子は、兄(後の第16代仁徳天皇)に帝位を譲るため自殺したとされる。
しかし、実は死んでおらず、一族を率いて東国に下り、曽祖父にあたる日本武尊に所縁のこの地で宮を建てた、という。
また、あるいは当地が宇遅能和紀郎子の御名代であったことにより祀られた、などの伝承が伝わっている。
昭和43年(1968年)9月には元皇族を招いて創祀千六百年式年大祭が催されている。368年が創祀と考えられていることになる。仁徳天皇56年に相当する。
例大祭は9月28日。当社も参加する、相模国一宮から五宮、そして総社も一堂に会する国府祭が5月5日に開かれる。
【ご利益】
修学、学問、就職の神、産業、技術、農業、土木の神、謙譲の美徳など(公式HP)
【関連記事】
・相模五社とは? - 一宮・寒川、二宮・川勾、三宮・比々多、四宮・前鳥、五宮格の平塚八幡宮
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
・神奈川県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、神奈川県に鎮座している神社の一覧
[電話]0463-55-1195
前鳥神社(さきとりじんじゃ)は、神奈川県平塚市四之宮にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 相模国 大住郡「前鳥神社」に比定される式内社(小社)。相模国四宮で、近代社格では郷社。
相模五社の一社。所在地名「四之宮」は平安時代から使われていることが確認されており、当社が鎮座していることにちなむもの。
御祭神は、菟道稚郎子命(うぢのわきいらつこのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)の3柱で、総称して「前鳥大神」と呼ばれる。
しかし、大山咋命は明治期に、日本武尊は昭和になって合祀されたもので、もともとは宇遅能和紀郎子だけだった。
宇遅能和紀郎子は『古事記』の主役の一人と言ってもよいが、祭神として祀っている神社は極めて少ない。
本人ゆかりの京都府宇治市にある宇治神社や宇治上神社はよく知られているものの、東国では当社が唯一とも言われている。
実際には栃木県下都賀郡野木町に野木神社がある。
第15代応神天皇の皇太子だった宇遅能和紀郎子は、兄(後の第16代仁徳天皇)に帝位を譲るため自殺したとされる。
しかし、実は死んでおらず、一族を率いて東国に下り、曽祖父にあたる日本武尊に所縁のこの地で宮を建てた、という。
また、あるいは当地が宇遅能和紀郎子の御名代であったことにより祀られた、などの伝承が伝わっている。
昭和43年(1968年)9月には元皇族を招いて創祀千六百年式年大祭が催されている。368年が創祀と考えられていることになる。仁徳天皇56年に相当する。
例大祭は9月28日。当社も参加する、相模国一宮から五宮、そして総社も一堂に会する国府祭が5月5日に開かれる。
【ご利益】
修学、学問、就職の神、産業、技術、農業、土木の神、謙譲の美徳など(公式HP)
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