668年の盗難事件で草薙の剣を取り返した熱田神宮ゆかりの古社
[住所]大阪府大阪市鶴見区放出東3-31-18
[電話]06-6962-0378
阿遅速雄神社(あちはやをじんじゃ)は、大阪府大阪市鶴見区にある神社。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 東生郡「阿遅速雄神社/阿遲速雄神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
江戸期には、八剣神社と称されていたが、延喜式式内社の比定を行った並河誠所により、当社が延喜式における阿遅速雄神社にあたるとして、「阿遅速雄社社号標石」を置いた。
以降、現社名で呼ばれるようになった。
社伝によれば、御祭神の阿遅金且高日子根神が摂津国に降臨し土地を拓き、民に農耕の業を授けたと伝わる。この地の守護神として祀られたという。
天智天皇7年(668年)に発生した草薙剣盗難事件の際、新羅の僧・道行が草薙の剣を持って船で新羅に逃げ帰る時、突然の嵐に巻き込まれた。
これを神罰と恐れをなして、途中の河口に放り投げられ(放出<はなてん>=鎮座地の地名)、その後、草薙の剣は里人により拾われ、当社に一時納められたのが創始と伝わる。
その後、草薙の剣は無事に熱田神宮に返還されたと伝わる。
現在も例祭日(10月第3土曜、日曜日)には熱田神宮より宮司か神職が参拝、熱田神宮の例祭日には、当社の宮司などが参列する慣習が続いている。
この剣との関連で祀られたのが、もう一柱の御祭神である八剣大神(八劒大神)であり、以降、八剣大明神(八劒大明神)とも呼ばれるようになる。
史書には、盗難された草薙の剣は、朱鳥元年(686年)に宮中から返還されたとある。
一方で、盗難事件から、この返還までの間、土佐神社が朝廷に剣一口を献じたとある。土佐神社の御祭神も阿遅金且高日子根神。
明治時代に浪速鉄道(現 片町線)建設の折に現在地に遷座した。関連の神社として、高鴨神社がある。
なお、同名の神社が、大阪市城東区などにもある。
【ご利益】
摂津開拓の神、災厄除去、遺失物が戻って来る?
【関連記事】
・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
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阿遅速雄神社(あちはやをじんじゃ)は、大阪府大阪市鶴見区にある神社。
『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 東生郡「阿遅速雄神社/阿遲速雄神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
江戸期には、八剣神社と称されていたが、延喜式式内社の比定を行った並河誠所により、当社が延喜式における阿遅速雄神社にあたるとして、「阿遅速雄社社号標石」を置いた。
以降、現社名で呼ばれるようになった。
社伝によれば、御祭神の阿遅金且高日子根神が摂津国に降臨し土地を拓き、民に農耕の業を授けたと伝わる。この地の守護神として祀られたという。
天智天皇7年(668年)に発生した草薙剣盗難事件の際、新羅の僧・道行が草薙の剣を持って船で新羅に逃げ帰る時、突然の嵐に巻き込まれた。
これを神罰と恐れをなして、途中の河口に放り投げられ(放出<はなてん>=鎮座地の地名)、その後、草薙の剣は里人により拾われ、当社に一時納められたのが創始と伝わる。
その後、草薙の剣は無事に熱田神宮に返還されたと伝わる。
現在も例祭日(10月第3土曜、日曜日)には熱田神宮より宮司か神職が参拝、熱田神宮の例祭日には、当社の宮司などが参列する慣習が続いている。
この剣との関連で祀られたのが、もう一柱の御祭神である八剣大神(八劒大神)であり、以降、八剣大明神(八劒大明神)とも呼ばれるようになる。
史書には、盗難された草薙の剣は、朱鳥元年(686年)に宮中から返還されたとある。
一方で、盗難事件から、この返還までの間、土佐神社が朝廷に剣一口を献じたとある。土佐神社の御祭神も阿遅金且高日子根神。
明治時代に浪速鉄道(現 片町線)建設の折に現在地に遷座した。関連の神社として、高鴨神社がある。
なお、同名の神社が、大阪市城東区などにもある。
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