長寿祈願の神「お多賀さん」、オタマジャクシの名の由来ともなるお守りも
[住所]滋賀県犬上郡多賀町多賀604
[電話]0749-48-1101
多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「多何神社(近江国・犬上郡)」に比定される式内社(小社)。近江国三宮とされる場合があり、近代社格では官幣大社、現在は神社本庁の別表神社。神仏霊場近江國一番。
古くから「お多賀さん」として親しまれた。中世期には「多賀大明神」として信仰を集めた。
当社にはお守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあるが、これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ」の名の由来とされている。
和銅5年(西暦712年)編纂の『古事記』の一部には「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」と当社に関する記載がある。
しかし『古事記』の表記や『日本書紀』の記述などから、これは淡路島を指すもので、今の伊弉諾神宮に相当する、と考えられるのが一般的。
もっとも、御祭神は神話伝承通り伊邪那岐命と伊邪那美命の二柱であり、式内社でもあることから、当社とその地名である多賀について、『古事記』の記述との整合性を一部認める考えが古来からあった、とも思われる。
天正16年(1588年)、当社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、成就したため、社殿改修を行い、大名に与えるに等しい1万石を寄進した。
境内正面の石造りの太鼓橋(大僧正慈性により寛永15年〈1638年〉造営)は「太閤橋」の雅名でも呼ばれる。
江戸時代になり、元和元年(1615年)には社殿が焼失したが、寛永10年(1633年)に徳川家光が再建を命じ、5年後に完成した。
当社の社殿はその後火災や暴風で何度も焼失・倒壊を繰り返すが、同じ時期に、近隣のゆかり深い胡宮神社と大滝神社でも、家光の命による社殿造営が行われている。
「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」などの俗謡や、長寿祈願の神としても殊の外有名であり、古来からの要衝の地であることと合わせて、上下から多大な崇敬を集めた。
なお、当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として、また、進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
【ご利益】
延命長寿、厄除け、縁結び、家内安全、交通安全(公式HP)
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多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式神名帳』にある「多何神社(近江国・犬上郡)」に比定される式内社(小社)。近江国三宮とされる場合があり、近代社格では官幣大社、現在は神社本庁の別表神社。神仏霊場近江國一番。
古くから「お多賀さん」として親しまれた。中世期には「多賀大明神」として信仰を集めた。
当社にはお守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあるが、これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ」の名の由来とされている。
和銅5年(西暦712年)編纂の『古事記』の一部には「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」と当社に関する記載がある。
しかし『古事記』の表記や『日本書紀』の記述などから、これは淡路島を指すもので、今の伊弉諾神宮に相当する、と考えられるのが一般的。
もっとも、御祭神は神話伝承通り伊邪那岐命と伊邪那美命の二柱であり、式内社でもあることから、当社とその地名である多賀について、『古事記』の記述との整合性を一部認める考えが古来からあった、とも思われる。
天正16年(1588年)、当社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、成就したため、社殿改修を行い、大名に与えるに等しい1万石を寄進した。
境内正面の石造りの太鼓橋(大僧正慈性により寛永15年〈1638年〉造営)は「太閤橋」の雅名でも呼ばれる。
江戸時代になり、元和元年(1615年)には社殿が焼失したが、寛永10年(1633年)に徳川家光が再建を命じ、5年後に完成した。
当社の社殿はその後火災や暴風で何度も焼失・倒壊を繰り返すが、同じ時期に、近隣のゆかり深い胡宮神社と大滝神社でも、家光の命による社殿造営が行われている。
「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」などの俗謡や、長寿祈願の神としても殊の外有名であり、古来からの要衝の地であることと合わせて、上下から多大な崇敬を集めた。
なお、当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として、また、進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
【ご利益】
延命長寿、厄除け、縁結び、家内安全、交通安全(公式HP)
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