南洋庁統治下のパラオ共和国に創建された旧官幣大社、平成期に再建
[住所]パラオ共和国コロール島
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南洋神社(なんようじんじゃ)は、日本国外、パラオ共和国コロール島にある神社。近代社格では官幣大社。戦後廃絶となったが、平成になり再建された。

日本の委任統治領となった南洋群島(内南洋)に1922年設置された南洋庁統治下において、民間有志による神社が創建されたが、南洋庁所在地のコロール島には神社が一つもなかった。そこで、南洋群島総鎮守たる神社を紀元2600年記念事業の一環としてコロール島に創建することになった。

1937年(昭和12年)から土地の選定が進められ、1938年(昭和13年)1月から約2年かけて工事が行われた。1940年(昭和15年)2月に天照大神(アマテラス)を祀る官幣大社として指定され、同年11月1日、御霊代を捧げ持つ勅使伊藤博精公爵を迎えて、粛々と鎮座祭が執り行われた。

第二次世界大戦末期、連日の空襲を避けるため1944年(昭和19年)11月22日にパラオ本島(バベルダオブ島)のジャングルの中に仮本殿を設置し、御神体を遷座。翌1945年(昭和20年)5月17日の空襲時の至近弾でコロールの本殿は大破するが、日本軍が修復を行い、外形が復元したところで終戦を迎える。

同年9月11日、米国の了解の下で奉焼式が行われ日本側の手でコロールの社殿が奉焼された。11月17日、日本政府より南洋神社廃止の連絡を受け、翌年1月5日パラオ本島の仮本殿で昇神の儀、仮本殿の奉焼を行い、御神体は船で東京の宮内省に運ばれ1月19日御奉遷の手続きが行われた。

跡地は1980年代になって民間に払い下げられ、パラオ人の邸宅となった。1997年、本殿・拝殿跡地に相当するパラオ人邸宅の前庭を借りるような形で小さな祠が再建された。

祠の前には新たに鳥居や狛犬や灯篭が設置され、「旧官幣大社南洋神社再建趣旨」を刻んだ石碑が本殿の右側に、左側には名越二荒之助ら「日本—パラオ心を結ぶ会」によって戦死者を称える日本語と英語の文章を刻んだ石碑が設置された。

久伊豆神社(埼玉県越谷市)には、当社を偲び、南洋群島で戦没した日本軍将兵の慰霊のため、平成16年(2004年)に「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」が建立された。建立時の式典には当時のパラオ大統領トミー・レメンゲサウも参加した。

御朱印は確認できていない。久伊豆神社にも、「遥拝 南洋神社」などの御朱印は用意されていないらしい。

【ご利益】
南洋群島で戦没した英霊のための慰霊
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