備後国一宮、節分祭・ほら吹き神事など 本殿は江戸期築造
[住所]広島県福山市新市町宮内400
[電話]0847-51-3395

吉備津神社(きびつじんじゃ)は、広島県福山市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

歴史的な一宮としての備後国一宮で、近代社格では国幣小社、現在は神社本庁の別表神社「全国一の宮会」に加盟している。通称として一宮さん(いっきゅうさん)とも呼ばれる。

吉備国が三国に分離された後の大同元年(806年)、吉備国一宮である吉備津神社(岡山県岡山市)より勧請して創建されたと伝えられる。

しかし、その約100年後の『延喜式』巻9・10神名帳に記載がないことから、実際の創建はもっと後であると考えられる。

現在、神社の名前が最初に確認できる史料は久安4年(1148年)の八坂神社の記録『社家条々記録』であり、境内の発掘調査でも12世紀以降のものしか出土していない。

主祭神は岡山市の吉備津神社と同様、大吉備津彦命。相殿神は、大日本根子彦太瓊命(主祭神の父である第7代孝霊天皇)、細比売命(孝霊天皇皇后)、稚武吉備津彦命(主祭神の異母弟)。

中世には備後国一宮として尊崇を受けるとともに、極めて強力な地盤を築き権勢を振るった。戦国時代には毛利輝元より、江戸時代にはこの地を治めた福島氏、水野氏より崇敬された。

本殿は江戸時代の慶安元年(1648年)、水野勝成による造営。桁行七間、梁間四間の入母屋造檜皮葺で、国の重要文化財に指定されている。

毎年2月3日の節分祭では、ほら吹き神事などもあり、毎年多くの参拝客が訪れる。

岡山市の吉備津神社のすぐ近くには、吉備津彦神社(岡山県岡山市)がある。当社も含め、この三社はよく混同される。

岡山吉備津神社を頂点として、吉備津彦神社と当社が兄弟のような関係にあり、主祭神を同じくするものの、別々の神社。

他に備後国一宮を称するものに、素盞嗚神社(福山市新市町戸手)がある。同社の祇園祭において、当社より宮司と禰宜が同社に参拝、「無言の神事」と呼ばれる儀式が行われる。

境内社は多数にのぼる。多理比理神社(息長帯姫神・息長日子王)、十二神社(大名持神社)、吉備津稲荷神社、厳島神社、胡神社、櫻山神社、水神など。

このうち、多理比理神社は、『延喜式』巻9・10神名帳の山陽道神 備後国 品治郡「多理比理神社」に比定される式内社(小社)の論社。

もとは現在の福山市駅家町服部に鎮座していたものが荒廃したため、当社境内に移されたという。式内社「多理比理神社」の論社は他に、市内駅家町の當島八幡神社荒神社に合祀の神子神がある。

なお、当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選補遺」として掲載されている。

【ご利益】
家内安全、交通安全、安産祈願、社運隆昌、学業成就、病気平癒、心願成就(公式HP
吉備津神社(福山市) - 備後国一宮、節分祭・ほら吹き神事など 本殿は江戸期築造
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吉備津神社(福山市)の御朱印