石塚山古墳 - 苅田町ホームページ > 苅田町観光ガイド > 学ぶ
中国で三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)と同じ形式の鏡が見つかったとする論文が発表された件で、福岡県京都郡みやこ町の古代史愛好家、吉武正一さん(72)は、この鏡の写真にある銘文や文様を調べ、「苅田町の石塚山古墳で出土した三角縁神獣鏡と共通点があり、同じ工房で作られた鏡ではないか」との推論を立てたと言います。朝日新聞が報じています。画像は石塚山古墳の紹介ページ(出典:苅田町

石塚山古墳からは舶来鏡とみられる鏡が多数出土しており、吉武さんはそのうちの三角縁神獣鏡7枚のうちの一つと、新聞報道に出ていた写真を見比べたと言います。

その結果、銘文の「吾作」「師子」が共通しているほか、ともに4神4獣、獅子、笠松の文様があり、中国で見つかったという鏡が石塚山古墳のものよりやや小ぶりだったり、銘文の配置が時計回りで逆だったりする違いはありながらも、同じ工房での制作の可能性を指摘しました。

吉武さん自身、邪馬台国九州説。石塚山古墳こそが卑弥呼の墓と主張しています。石塚山古墳は全長100メートルを大きく超える、この地域では珍しい大規模な前方後円墳。

珍しいと言いましたが、付近にはやはり100メートルを超える御所山古墳もあり、畿内以外の地域で、極めて近い地域に100メートル級前方後円墳が複数存在するという意味で、ある種異様な地域、と見られていたのは確かです。

もっとも、現時点までに考古学的に示されている古墳の年代は、石塚山古墳が数十年、御所山古墳が100年以上、卑弥呼の時代より後のもの、とはされています。

中国で発見された鏡の信ぴょう性についての問題は依然残されていると思われる中で、日本で出土したものと「同じ工房で制作されたもの」と断定するにはまだ材料が少ないかもしれませんが、問題提起としては興味深いものがあります。

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