2015年3月16日の参議院予算員会で三原じゅん子参院議員が行った質問のなかで、「八紘一宇(はっこういちう)は大切にしてきた価値観」と発言し、物議をかもしています。それ自体もそうなのですが、本サイトとして気になったのは、「古事記」という言葉を出して行った、三原議員の発言に対する麻生太郎財務相の答弁のほうです。画像はGoogle画像検索「麻生財務相」(出典:Google)
すでに多くの方が指摘されていますが、色々と誤りがあります。念のため、ここではいくつか取り上げて、それを是正、意見を述べさせていただきます。まず、答弁全文。
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麻生財務相:もうここで戦前生まれの方というのは、2人くらいですかね、あの、他におられないと思いますけど、これは、今でも宮崎県に行かれると八紘一宇の塔というのが立っております。宮崎県の人、いない? 八紘一宇の塔あるだろ? 知ってるかどうか知らないけど。ねえ、福島(みずほ)さんでも知っている。宮崎県関係ないけど、八紘一宇っていうのは、そういうものだったんですよ。
で、日本中から各県の石を集めましてね、その石を全部積み上げて八紘一宇の塔っていうのが宮崎県に立っていると思いますが、戦前の中で出た歌の中でもいろいろ「往け、八紘を宇(いえ)となし」とか、いろいろ歌がありますけれども、そういったもののなかにあってひとつのメインストリームの考え方のひとつなんだと私はそう思いますけれども。
私どもはやっぱり…なんでしょうねえ…やっぱり世界の中で1500年以上も前から、少なくとも国として今の日本という国の、同じ場所に同じ言語を喋って、万世一系天皇陛下というような国というのは他にありませんから。日本以外でこれらができているのは10世紀以降にできましたデンマークくらいがその次くらいで、5世紀から少なくとも「日本書紀」という外交文書を持ち、「古事記」という和文の文書を持ってきちんとしている国ってそうないんで。そこに綿々と流れているのはたぶんこういったような考え方であろうということで、この清水(芳太郎)さんという方が書かれたんだと思いますけれども。
こういった考え方をお持ちの方が三原先生みたいな世代におられるのに、ちょっと正直驚いたのが実感です。
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Q1.「日本は5世紀から少なくとも『日本書紀』『古事記』を持っていた」のか?
A1.持っていません。通説では『古事記』712年、『日本書紀』720年の成立ですので、8世紀です。古事記に関しては異説もありますが、日本書紀はその性質上、この成立年を動かすことは難しいでしょう。また、古事記の成立はもっと古い、という意見も中にはありますが、5世紀までさかのぼる見方はありません。
古事記には6世紀前半のことも記述されています。
Q2.「『日本書紀』という外交文書」というのは正しい認識か?
A2.日本書紀は、特に訓注、歌謡など除く本文部分は漢文、つまりすべて漢字で、文法も日本語のものではない、中国の正史の体裁をもとにして整備された日本史上初の正史(政府編纂という意味での公式の歴史書)です。その意味で、対外向けの文書だった、という指摘があり、比較的有力なため、麻生財務相の発言もあながち間違いではなりません。
Q3.「『古事記』という和文の文書」というのは正しい認識か?
A3.古事記は、「本文は変体漢文を主体とし、古語や固有名詞のように、漢文では代用しづらいものは一字一音表記」で記述されています。
分かりやすく言えば、すべて漢字で、原則として文法も日本語のものではない、中国風の漢文の形式をとりながら、一部では中国人には何のことかわからない文章も出てくる、しかし、それを日本語風に読むと、日本人には理解できる、というところも出てくる、というものです。
いわゆる万葉仮名です。万葉仮名がさらに発展して、仮名(平仮名と片仮名)が整えられてきます。
“和文”をどのように定義するかにもよりますが、一字一音表記という万葉仮名風使用方法があるとはいえ、すべて漢字で書かれた古事記を、和文である、とはなかなか言い切れないところがあります。
Q4.では『古事記』はどのような文書か?
A4.極めて難しい問いであり、現時点で返答不能です。
一例をあえて言えば、先に挙げた性質をもつ『日本書紀』と比べれば、『古事記』はより日本的、「やまと心」がある、などとは言い得るかもしれませんし、そのように指摘する先人がいます。
Q5.「万世一系天皇陛下というような国」という認識は正しいか?
A5.古事記や日本書紀を素直に読むと、皇室は“一つの系統が続いている”と言い得るでしょう。
壬申の乱、南北朝時代など、不透明な時期は確かにあります。ここでは問題が大きくなるので、それら以前の、古事記時代に限ってですが、確かに学説として、古代日本は様々な王朝が交代した、というものも存在はしています。第二十六代継体天皇は、全く別の王朝の創始者である、というものもあります。
しかし、それらは完全に証明された学説ではありません。証明どころか、提起されている、程度のものにすぎない、と思います。
というのも、古事記や日本書紀には王朝が交代したなどと読み取れる部分は全くなく、細部はともかく、皇統については古事記と日本書紀は同じことを言っており、現時点で古事記や日本書紀のそうした記述を疑う、あるいはその記述を覆すに足る第三の資料(文献でも考古資料でもよいですが)は存在していません。
古事記と日本書紀が違うことを言っている場合、何らかの形でそれを疑う、少なくとも気にはする必要がありますが、同じことを言っているものについては、その中で描かれているストーリーがいかに破天荒だとしても、特段目くじら立てて否定するまでもなく、とりあえず事実だろう、と考える方が、合理的だと思われます。
様々な問題はあるし、それらは解決されなければなりませんし、どんな脚色があるのかは不明ではありますが、何らかの形で、イザナギ・イザナミ以来、アマテラス、アメノオシホミミ、ニニギ、山幸彦、ウガヤフキアエズ、初代神武天皇が誕生するという系譜は、そのものではないにしろ、近いものが実際にあったのだろう、と思います。
創作だったのならば、なぜ創作したのか、を問わねばなりませんし、そうした議論はおおよそ推論に推論を重ねて説得力を持ちえた試しがありません。素直に伝えられていた事実を(脚色はあったかもしれないが)記述した、と考えた方がよいでしょう。
そして神武天皇以来、今上天皇まで、確かに皇統が続いている。ただし、それが皇紀に照らすほどの長さとは少し考えづらく、麻生財務相を弁護する訳ではないですが、日本で恐らくは日本人が刻字しただろうと思われる最古の出土品が“5世紀”のものと思われますので(熊本県江田船山古墳出土の鉄刀や埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣など)、最低でも1500年以上は続いている、とは言えると思います。
ただ、注意しなければならないのは、「万世一系」という言葉は過去のある出来事を言っているのではなく、将来についても、永久にそうあるべき、というニュアンスがある、その意味では事実の認定のみではなく、思想性を持った言葉だ、ということです。それを含めてすべて認めるかどうか、は、上記の過去の事実及びそれに近いものに関する考証とは全く別次元の話になります。麻生財務相の認識が一概に正しい間違っていると判断するのは難しいところです。
すでに多くの方が指摘されていますが、色々と誤りがあります。念のため、ここではいくつか取り上げて、それを是正、意見を述べさせていただきます。まず、答弁全文。
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麻生財務相:もうここで戦前生まれの方というのは、2人くらいですかね、あの、他におられないと思いますけど、これは、今でも宮崎県に行かれると八紘一宇の塔というのが立っております。宮崎県の人、いない? 八紘一宇の塔あるだろ? 知ってるかどうか知らないけど。ねえ、福島(みずほ)さんでも知っている。宮崎県関係ないけど、八紘一宇っていうのは、そういうものだったんですよ。
で、日本中から各県の石を集めましてね、その石を全部積み上げて八紘一宇の塔っていうのが宮崎県に立っていると思いますが、戦前の中で出た歌の中でもいろいろ「往け、八紘を宇(いえ)となし」とか、いろいろ歌がありますけれども、そういったもののなかにあってひとつのメインストリームの考え方のひとつなんだと私はそう思いますけれども。
私どもはやっぱり…なんでしょうねえ…やっぱり世界の中で1500年以上も前から、少なくとも国として今の日本という国の、同じ場所に同じ言語を喋って、万世一系天皇陛下というような国というのは他にありませんから。日本以外でこれらができているのは10世紀以降にできましたデンマークくらいがその次くらいで、5世紀から少なくとも「日本書紀」という外交文書を持ち、「古事記」という和文の文書を持ってきちんとしている国ってそうないんで。そこに綿々と流れているのはたぶんこういったような考え方であろうということで、この清水(芳太郎)さんという方が書かれたんだと思いますけれども。
こういった考え方をお持ちの方が三原先生みたいな世代におられるのに、ちょっと正直驚いたのが実感です。
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Q1.「日本は5世紀から少なくとも『日本書紀』『古事記』を持っていた」のか?
A1.持っていません。通説では『古事記』712年、『日本書紀』720年の成立ですので、8世紀です。古事記に関しては異説もありますが、日本書紀はその性質上、この成立年を動かすことは難しいでしょう。また、古事記の成立はもっと古い、という意見も中にはありますが、5世紀までさかのぼる見方はありません。
古事記には6世紀前半のことも記述されています。
Q2.「『日本書紀』という外交文書」というのは正しい認識か?
A2.日本書紀は、特に訓注、歌謡など除く本文部分は漢文、つまりすべて漢字で、文法も日本語のものではない、中国の正史の体裁をもとにして整備された日本史上初の正史(政府編纂という意味での公式の歴史書)です。その意味で、対外向けの文書だった、という指摘があり、比較的有力なため、麻生財務相の発言もあながち間違いではなりません。
Q3.「『古事記』という和文の文書」というのは正しい認識か?
A3.古事記は、「本文は変体漢文を主体とし、古語や固有名詞のように、漢文では代用しづらいものは一字一音表記」で記述されています。
分かりやすく言えば、すべて漢字で、原則として文法も日本語のものではない、中国風の漢文の形式をとりながら、一部では中国人には何のことかわからない文章も出てくる、しかし、それを日本語風に読むと、日本人には理解できる、というところも出てくる、というものです。
いわゆる万葉仮名です。万葉仮名がさらに発展して、仮名(平仮名と片仮名)が整えられてきます。
“和文”をどのように定義するかにもよりますが、一字一音表記という万葉仮名風使用方法があるとはいえ、すべて漢字で書かれた古事記を、和文である、とはなかなか言い切れないところがあります。
Q4.では『古事記』はどのような文書か?
A4.極めて難しい問いであり、現時点で返答不能です。
一例をあえて言えば、先に挙げた性質をもつ『日本書紀』と比べれば、『古事記』はより日本的、「やまと心」がある、などとは言い得るかもしれませんし、そのように指摘する先人がいます。
Q5.「万世一系天皇陛下というような国」という認識は正しいか?
A5.古事記や日本書紀を素直に読むと、皇室は“一つの系統が続いている”と言い得るでしょう。
壬申の乱、南北朝時代など、不透明な時期は確かにあります。ここでは問題が大きくなるので、それら以前の、古事記時代に限ってですが、確かに学説として、古代日本は様々な王朝が交代した、というものも存在はしています。第二十六代継体天皇は、全く別の王朝の創始者である、というものもあります。
しかし、それらは完全に証明された学説ではありません。証明どころか、提起されている、程度のものにすぎない、と思います。
というのも、古事記や日本書紀には王朝が交代したなどと読み取れる部分は全くなく、細部はともかく、皇統については古事記と日本書紀は同じことを言っており、現時点で古事記や日本書紀のそうした記述を疑う、あるいはその記述を覆すに足る第三の資料(文献でも考古資料でもよいですが)は存在していません。
古事記と日本書紀が違うことを言っている場合、何らかの形でそれを疑う、少なくとも気にはする必要がありますが、同じことを言っているものについては、その中で描かれているストーリーがいかに破天荒だとしても、特段目くじら立てて否定するまでもなく、とりあえず事実だろう、と考える方が、合理的だと思われます。
様々な問題はあるし、それらは解決されなければなりませんし、どんな脚色があるのかは不明ではありますが、何らかの形で、イザナギ・イザナミ以来、アマテラス、アメノオシホミミ、ニニギ、山幸彦、ウガヤフキアエズ、初代神武天皇が誕生するという系譜は、そのものではないにしろ、近いものが実際にあったのだろう、と思います。
創作だったのならば、なぜ創作したのか、を問わねばなりませんし、そうした議論はおおよそ推論に推論を重ねて説得力を持ちえた試しがありません。素直に伝えられていた事実を(脚色はあったかもしれないが)記述した、と考えた方がよいでしょう。
そして神武天皇以来、今上天皇まで、確かに皇統が続いている。ただし、それが皇紀に照らすほどの長さとは少し考えづらく、麻生財務相を弁護する訳ではないですが、日本で恐らくは日本人が刻字しただろうと思われる最古の出土品が“5世紀”のものと思われますので(熊本県江田船山古墳出土の鉄刀や埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣など)、最低でも1500年以上は続いている、とは言えると思います。
ただ、注意しなければならないのは、「万世一系」という言葉は過去のある出来事を言っているのではなく、将来についても、永久にそうあるべき、というニュアンスがある、その意味では事実の認定のみではなく、思想性を持った言葉だ、ということです。それを含めてすべて認めるかどうか、は、上記の過去の事実及びそれに近いものに関する考証とは全く別次元の話になります。麻生財務相の認識が一概に正しい間違っていると判断するのは難しいところです。
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