邪馬台国阿波説の論拠? 食物神オオゲツヒメを祀る阿波国一宮
[住所]徳島県名西郡神山町神領字西上角330
[電話]088-676-0482

上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)は、徳島県名西郡神山町にある神社。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 名方郡「天石門別八倉比売神社」に比定される式内社(名神大社・月次新嘗)の論社。歴史的な一宮としての阿波国一宮「全国一の宮会」に加盟していない。

御祭神は大宜都比売命(おおげつひめのみこと)。

またの名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)あるいは大粟比売命(おおあわひめのみこと)としているが、史料によっては天石門別八倉比売命・大粟比売命は配祀神であるとも。

いわゆるオオゲツヒメであり、イザナギイザナミの島産みにおける四国(イヨノフタナノシマ)の四つの顔の一つとして記載された、阿波に相当する神であって、もともと阿波とはゆかりが深い。

阿波=粟との説もあるが、古事記においては、スサノヲに惨殺されたその死体から五穀の種が生じたために、五穀の起源となり、食物神とされる。

しかし、当社社伝では、大宜都比売命が伊勢国丹生の郷(現 三重県多気郡多気町丹生)から馬に乗って阿波国まで来て、この地に粟を広めたと伝えられているという。

多気郡多気町のあたりは、『倭姫命世記』に描かれた、ヤマトヒメ巡幸の道すがらに該当はするが、特段オオゲツヒメとのゆかりは他に見られない。

平安時代には、現在の徳島市一宮町に当社の分祠として一宮神社が創建された。現在もそうだが、当時から交通の便があまりよくなかったのであろう。

大鳥居から進み、神門をくぐると、舗装された参道はなくなり、かなりの急こう配を上って、参拝することになる。

明治3年(1870年)、社名を「埴生女屋神社」と改められたが、氏子の請願により、明治28年(1895年)に現在の上一宮大粟神社となった。

式内社「天石門別八倉比売神社」の論社は他に、先の一宮神社と、徳島市の八倉比売神社がある。

また、阿波国一宮は、当社を含む式内社「天石門別八倉比売神社」の論社三社のほか、鳴門市の大麻比古神社も主張している。

【ご利益】
五穀豊穣、養蚕、農耕
上一宮大粟神社 - 邪馬台国阿波説の論拠? 食物神オオゲツヒメを祀る阿波国一宮
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