豊後国一宮の、宇佐神宮の別宮、仲哀・応神・神功が御祭神
[住所]大分県大分市大字八幡987
[電話]097-534-0065
柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)は、大分県大分市にある神社。豊後国一宮で、近代社格では国幣小社、現在は神社本庁の別表神社。「全国一の宮会」に加盟している。参拝すれば、御朱印を頂ける。
由原八幡宮、柞原神社とも表記される。御祭神は仲哀天皇(第14代天皇)、応神天皇(第15代天皇)、神功皇后(第14代天皇の皇后、第15代天皇の母)。
鎌倉時代に書かれた社伝によれば、平安時代初期の天長4年(827年)、延暦寺の僧・金亀(こんき)が宇佐八幡(宇佐神宮)に千日間籠った。
そこで、「天長7年3月3日に八幡神が豊前国に垂迹する」との神託を得、天長7年(830年)7月7日、大分郡賀来郷に白幡が飛び渡った。
金亀はこのことを朝廷に奉上し、承和3年(836年)、仁明天皇の命により豊後国司・大江宇久が社殿を造営。以後、宇佐八幡宮の別宮の一つとして崇敬を受けた。
平安時代中期の長徳4年(998年)からは宇佐八幡と同様に33年ごとの社殿の造営(式年遷宮)が行われるようになった。
当社は豊後国国府近くに鎮座しており、国分寺の守護神である国分八幡宮との説がある。また、一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮が豊後国では不詳であるため、当社がそれを兼ねていた可能性がある。
本殿は幕末の嘉永3年(1850年)上棟の八幡造社殿、本殿手前には切妻造妻入りの申殿、その手前に接して同じく切妻造妻入りの拝殿が建つ。
申殿は江戸時代中期の宝暦2年(1752年)頃の、拝殿は楼門と同じく宝暦9年(1759年)頃の建立とみられる。
楼門は棟札により宝暦9年(1759年)の上棟。入母屋造、間口3間の通常の形式であるが、下層正面に軒唐破風(のきからはふ)を設ける点が特異。
楼門の左右に接続する東回廊・西回廊は寛政10年(1798年)頃の建立。これらはいずれも国の重要文化財に指定されている。他にもクスが、「柞原八幡宮のクス」として国の天然記念物。
9月中旬に仲秋祭として浜の市が行われる。生石の浜の放生会に神幸する祭事。もとは大規模な市が立ったのでこの名称が残る。大将軍神社の大将軍市、賀来神社の賀来の市とともに大分郡市の三大市として有名だった。
当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。同じ市内にある西寒多神社も豊後国一宮を主張する。
【ご利益】
八幡としての厄払いのほか、一家が揃っているという意味での家内安全、九州・半島遠征のための九州来訪から考えて勝運、必勝。仲哀天皇の急死という面からは、心願成就などが考えられるか。

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[電話]097-534-0065
柞原八幡宮(ゆすはらはちまんぐう)は、大分県大分市にある神社。豊後国一宮で、近代社格では国幣小社、現在は神社本庁の別表神社。「全国一の宮会」に加盟している。参拝すれば、御朱印を頂ける。
由原八幡宮、柞原神社とも表記される。御祭神は仲哀天皇(第14代天皇)、応神天皇(第15代天皇)、神功皇后(第14代天皇の皇后、第15代天皇の母)。
鎌倉時代に書かれた社伝によれば、平安時代初期の天長4年(827年)、延暦寺の僧・金亀(こんき)が宇佐八幡(宇佐神宮)に千日間籠った。
そこで、「天長7年3月3日に八幡神が豊前国に垂迹する」との神託を得、天長7年(830年)7月7日、大分郡賀来郷に白幡が飛び渡った。
金亀はこのことを朝廷に奉上し、承和3年(836年)、仁明天皇の命により豊後国司・大江宇久が社殿を造営。以後、宇佐八幡宮の別宮の一つとして崇敬を受けた。
平安時代中期の長徳4年(998年)からは宇佐八幡と同様に33年ごとの社殿の造営(式年遷宮)が行われるようになった。
当社は豊後国国府近くに鎮座しており、国分寺の守護神である国分八幡宮との説がある。また、一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮が豊後国では不詳であるため、当社がそれを兼ねていた可能性がある。
本殿は幕末の嘉永3年(1850年)上棟の八幡造社殿、本殿手前には切妻造妻入りの申殿、その手前に接して同じく切妻造妻入りの拝殿が建つ。
申殿は江戸時代中期の宝暦2年(1752年)頃の、拝殿は楼門と同じく宝暦9年(1759年)頃の建立とみられる。
楼門は棟札により宝暦9年(1759年)の上棟。入母屋造、間口3間の通常の形式であるが、下層正面に軒唐破風(のきからはふ)を設ける点が特異。
楼門の左右に接続する東回廊・西回廊は寛政10年(1798年)頃の建立。これらはいずれも国の重要文化財に指定されている。他にもクスが、「柞原八幡宮のクス」として国の天然記念物。
9月中旬に仲秋祭として浜の市が行われる。生石の浜の放生会に神幸する祭事。もとは大規模な市が立ったのでこの名称が残る。大将軍神社の大将軍市、賀来神社の賀来の市とともに大分郡市の三大市として有名だった。
当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。同じ市内にある西寒多神社も豊後国一宮を主張する。
【ご利益】
八幡としての厄払いのほか、一家が揃っているという意味での家内安全、九州・半島遠征のための九州来訪から考えて勝運、必勝。仲哀天皇の急死という面からは、心願成就などが考えられるか。

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