九州歴史資料館(福岡県小郡市)は2015年3月16日、同県行橋市の延永ヤヨミ園遺跡(のぶながヤヨミそのいせき)から九州で初めて出土した古墳時代の水の祭祀遺構「導水施設」の木樋(もくひ)が、3世紀中ごろ-4世紀中ごろのものと判明したと発表しました。毎日新聞が報じています。写真は延永ヤヨミ園遺跡。(出典:九州歴史資料館)
毎日新聞は続けて、「ヤマト政権発祥の地とされる奈良県の纒向遺跡で出土した国内最古の3世紀後半-4世紀初頭のものとほぼ同時期で、近畿で始まった水の祭祀が極めて短期間に九州にも伝わっていたことになる。誕生したばかりのヤマト政権が延永ヤヨミ園遺跡一帯を九州支配の拠点としていたとみる識者もいる」としています。
さらに、導水施設について、「木樋や木槽などに水を流し、上澄みの浄水を得る古墳時代の施設。木樋の周囲は建物や壁で覆う例が多く、神聖な場所の隔離とみられることから祭祀施設とされる。近畿中心に群馬県など全国13遺跡で確認され、施設をかたどった埴輪や石製品も三重、東京、大分など全国12地点で出土している」。
要は疑似的な川・河をつくったもの。上記では神聖な場所としていますが、川・河で連想されるのは、この世とあの世、此岸と彼岸。死者に対する特別な儀式が行われていたのかもしれません。
時期的には前方後円墳の出現期と同じ。前方後円墳というあの巨大な築造物こそ、ほとんど間をおかず、畿内と、九州など各地で突如誕生することから、こうした施設や祭祀、遺構が畿内と九州で同時期のものが見つかっても、それほど不思議はないような気がします。
前方後円墳はお墓。そしてそれは、大規模なものになればなるほど周濠を持つのが通例になります。これも疑似的な川・河でしょうか。「導水施設」と同じ発想だった、さらに飛躍させれば、前方後円墳と「導水施設」は思想的にはセットであり、同じタイミングで畿内から波及した、とも言えるかもしれません。
前方後円墳は古代祭祀、さらには古代日本すべての事象を解き明かす、まさに“鍵穴”の可能性があり、関連するかもしれない祭祀の遺構の発見や研究がさらに進展することが望まれます。
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・延永ヤヨミ園遺跡(福岡県・行橋市) - 古代港「草野津」の関連役所跡 最古級「導水施設」も
毎日新聞は続けて、「ヤマト政権発祥の地とされる奈良県の纒向遺跡で出土した国内最古の3世紀後半-4世紀初頭のものとほぼ同時期で、近畿で始まった水の祭祀が極めて短期間に九州にも伝わっていたことになる。誕生したばかりのヤマト政権が延永ヤヨミ園遺跡一帯を九州支配の拠点としていたとみる識者もいる」としています。
さらに、導水施設について、「木樋や木槽などに水を流し、上澄みの浄水を得る古墳時代の施設。木樋の周囲は建物や壁で覆う例が多く、神聖な場所の隔離とみられることから祭祀施設とされる。近畿中心に群馬県など全国13遺跡で確認され、施設をかたどった埴輪や石製品も三重、東京、大分など全国12地点で出土している」。
要は疑似的な川・河をつくったもの。上記では神聖な場所としていますが、川・河で連想されるのは、この世とあの世、此岸と彼岸。死者に対する特別な儀式が行われていたのかもしれません。
時期的には前方後円墳の出現期と同じ。前方後円墳というあの巨大な築造物こそ、ほとんど間をおかず、畿内と、九州など各地で突如誕生することから、こうした施設や祭祀、遺構が畿内と九州で同時期のものが見つかっても、それほど不思議はないような気がします。
前方後円墳はお墓。そしてそれは、大規模なものになればなるほど周濠を持つのが通例になります。これも疑似的な川・河でしょうか。「導水施設」と同じ発想だった、さらに飛躍させれば、前方後円墳と「導水施設」は思想的にはセットであり、同じタイミングで畿内から波及した、とも言えるかもしれません。
前方後円墳は古代祭祀、さらには古代日本すべての事象を解き明かす、まさに“鍵穴”の可能性があり、関連するかもしれない祭祀の遺構の発見や研究がさらに進展することが望まれます。
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