播磨国風土記で新作能 梅原猛氏制作、東京で披露公演 - 神戸新聞
2015年で編纂1300年を迎える奈良時代の地誌「播磨国風土記」を主題に、哲学者梅原猛さん(89)が書き下ろした新作能「針間」の披露公演が2015年3月16日、東京都渋谷区の国立能楽堂で開かれました。牛飼いから帝になった皇子2人の物語に約500人が見入ったといいます。神戸新聞が報じています(画像)

播磨(はりま)は古代には針間(はりま)とも呼ばれ、それがそのまま新作能のタイトルになっています。牛飼いから帝になった皇子2人の物語は古事記にもある、播磨を舞台とした説話です。以下、人名などは古事記に準じており、能の登場人物表記とは異なる場合があります。

有力皇子同士の大長谷王(おおはつせのみこ)と市辺押歯王(いちのべのおしはのみこ=イチノベノオシハ)が一緒に狩に出かけ、イチノベノオシハに無礼があったとして、大長谷王がキレて、ソッコーでイチノベノオシハを凹して、惨殺します。

それはもう、死骸は切り刻まれた挙句、馬の桶に入れて土とともに埋められるほど。この大長谷王が間もなく即位して、第二十一代雄略天皇です。

さて、イチノベノオシハの遺児が、意祁王(おけのみこ)と袁祁王(をけのみこ)の二人の兄弟。キレると何するかわからない雄略天皇が権力を握るにつれて、実際惨殺されたイチノベノオシハの遺児というだけで危うい立場。

早速逃避行です。逃れに逃れてたどり着いたのが、播磨の地となります。

その地の有力者シジムという家に入り、身分を隠して馬飼い、牛飼いとなって、世を忍びます。有力皇族の一員から、庶民にも劣る転落。現代のテレビドラマ、特にどこかのお国のに実際ありそうな展開。ともかく、さぞかしつらい日々だったでしょう。

そうしているうちに、雄略天皇が崩御し、その子の第二十二代清寧天皇が後継ぎなく崩御すると、中央では皇位継承者がいない、という異常事態に。とりあえずは、イチノベノオシハの妹にあたるイイトヨノイラツメが政をみます。

ちなみに、イイトヨノイラツメは日本史上最古の女帝かもしれません。もちろん、定説の推古女帝に先立ちます。ただ、正史では即位したことが認められていないので、女帝としては数えられていません。

さて、播磨の地には、中央から山部連小楯が赴任してきます。そして有力者シジムが新築祝いを行う、ということで、山部連小楯も列席します。中央から赴任してきた有力官僚と、当地の有力者、1500年前も変わらぬ関係が見て取れて興味深い。

そこで、その場にいた者に順次舞わせ、歌を歌わせていたところ、順番が回って来たのが馬飼い、牛飼いになっていた二人の兄弟。兄と弟、舞い歌う順番で少し争いますが、結局は最初、兄が歌い、その後に弟が歌います。

その弟が歌った歌が、「オレたちの親父は~、第十七代履中天皇の皇子であるイチノベノオシハだぞ~」というもの(歌全文)。宴に列席していた山部連小楯をはじめ、皆仰天。こんなところに貴種がいたか、と。特に山部連小楯にとっては、中央では皇位継承者がおらず、女性皇族による執政が続いている、という問題意識があったからなおさら。

これがきっかけとなって、兄弟二人は都に戻され、間もなく皇位に就きます。兄・意祁王が「オマエの歌のおかげで都に戻れたからオマエが即位しろ」と言ったので、まず弟・袁祁王が即位して、第二十三代顕宗天皇です。

顕宗天皇崩御後、兄・意祁王が健在だったので、弟に次いで即位します。第二十四代仁賢天皇です。

古事記にはこの話を中心にして、もう少し兄弟に関する説話(父イチノベノオシハの遺骸探し、仇敵・雄略天皇の陵破壊計画、など)が収録されています。新作能「針間」ではどのようにアレンジされているのでしょうか? かの梅原猛さんの書き下ろしなので一筋縄ではいかないことでしょう。是非鑑賞してみたいものです。

2015年5月4日、狂言師野村萬斎さんが監修した新作狂言「根日女」とともに、加西市玉丘町の玉丘史跡公園(雨天時は加西市民会館)で「針間」が上演されるとのことです。1席1000円。往復はがきでの申し込みが必要で、応募多数の場合は抽選となるそうです。神戸新聞事業社北播支社まで、電話:0795-42-3326(平日午前9時~午後5時)。

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