初代神武天皇の父ウガヤフキアエズ誕生の地、境内にはその陵墓も
[住所]宮崎県日南市大字宮浦3232
[電話]0987-29-1001
鵜戸神宮(うどじんぐう)は、宮崎県日南市にある神社。近代社格では官幣大社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
日向灘に面した断崖の中腹、東西38メートル、南北29メートル、高さ8.5メートルの岩窟(海食洞)内に本殿が鎮座する。
参拝するには崖にそって作られた石段を降りる必要があり、神社としては珍しい「下り宮」のかたちとなっている。
一之宮貫前神社(群馬県富岡市)、草部吉見神社(熊本県阿蘇郡高森町)とともに日本三大下り宮の一社。
創祀の年代は不詳であるが、古代以来の海洋信仰の聖地で、社伝によれば、本殿の鎮座する岩窟は、古事記にも描かれた、豊玉姫命が主祭神を産むための産屋を建てた場所。
その縁により第10代崇神天皇の御世に6柱の神を「六所権現」と称して創祀、第33代推古天皇の御世に岩窟内に社殿を創建して鵜戸神社と称したと伝える。
主祭神は、日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊で、主祭神の高祖母大日孁貴、曾祖父天忍穂耳尊、祖父彦火瓊々杵尊、父彦火々出見尊、子神日本磐余彦尊を併せて祀る。
特に桓武天皇の御世以降、神仏習合が進んだが、明治元年(1868年)の神仏判然令によって別当寺院を廃し、翌2年に鵜戸神社と改称、同7年に神宮号が宣下されて現社名となった。
近くには主祭神の陵と伝えられる吾平山上陵があり、現在、宮内庁が管理する陵墓参考地になっている。
昭和40年(1965年)、NHKの朝の連続テレビ小説『たまゆら』の舞台になったこともあり、昭和40年代には新婚旅行の定番地となった経緯がある。
ただ、当社には有名な「シャンシャン馬」の風習が大正の初め頃まで行われており、もともと新婚旅行の聖地だったともいえる。
「シャンシャン馬」は、新婚夫婦による鵜戸神宮への参拝、鵜戸詣において、美しく飾った馬に花嫁を乗せ、花婿が手綱を取りながら旅をするもの。駒宮神社が発祥地とも。
江戸時代前期、現在の市内南郷町榎原に御分霊を勧請した。榎原神社である。当社詣とともに榎原詣でが人気となり、飫肥の御両社と呼ばれた。
また、潮嶽神社によれば、飫肥の御両社の他、潮嶽大権現とともに、日向三権現と呼ばれたという。往時、当社は鵜戸大権現と呼ばれていた。
当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として、また、進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
なお、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」、 潜水艦「さちしお」の艦内神社に分祀したという。「ひゅうが」の艦内神社は他に、都農神社も勧請しているという。
社叢は、亜熱帯性の樹種が豊富な自然林で、中でも本殿裏の窪地にあるヘゴの群落が有名。国の天然記念物である「ヘゴ自生北限地帯」の構成要素の一つ。
なお、皇統に連なる、神宮号の神社の系譜として、当社主祭神からの続柄で見て、下記のような神社が存在する。
・伊勢の神宮の内宮(皇祖天照大神。三重県伊勢市)
・英彦山神宮(曾祖父天之忍穂耳命。福岡県添田町)
・霧島神宮(祖父瓊瓊杵尊。鹿児島県霧島市)
・鹿児島神宮(父山幸彦。鹿児島県霧島市)
・当宮(本人)
・宮崎神宮(子初代神武天皇。宮崎県宮崎市)
【ご利益】
縁結び、安産、育児、海上安全(公式HP)
【関連記事】
・神宮とは? - 現在は自主判断も、原則として特別な由緒がある神社でなければ名乗れない
・近代社格制度の官幣大社とは? - 廃絶・未鎮座を除く59社、現時点で65社の神社の一覧表
・日本三大下り宮とは? - 群馬の一之宮貫前神社、宮崎の鵜戸神宮、熊本の草部吉見神社
・国の天然記念物がある神社 - 数百年、数千年という単位で存在し続けている自然のパワー
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
・[日本全国]初詣で人気の神社、その人出 参拝者数ランキング - 宮崎県 - ウガヤフキアエズ
・日本神社100選とは? - 臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に掲載された神社
・詩でたどる日本神社百選 - 進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載された神社
・艦内神社とは? - 日本特有の「恐怖の海」への対処法 - 自衛艦の艦内神社
・『週刊 日本の神社 2015年 1/20号 [分冊百科]』 - 日向三代、宮崎神宮、鵜戸神宮、高千穂神社
・宮崎県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
・宮崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮崎県に鎮座している神社の一覧
[電話]0987-29-1001
鵜戸神宮(うどじんぐう)は、宮崎県日南市にある神社。近代社格では官幣大社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
日向灘に面した断崖の中腹、東西38メートル、南北29メートル、高さ8.5メートルの岩窟(海食洞)内に本殿が鎮座する。
参拝するには崖にそって作られた石段を降りる必要があり、神社としては珍しい「下り宮」のかたちとなっている。
一之宮貫前神社(群馬県富岡市)、草部吉見神社(熊本県阿蘇郡高森町)とともに日本三大下り宮の一社。
創祀の年代は不詳であるが、古代以来の海洋信仰の聖地で、社伝によれば、本殿の鎮座する岩窟は、古事記にも描かれた、豊玉姫命が主祭神を産むための産屋を建てた場所。
その縁により第10代崇神天皇の御世に6柱の神を「六所権現」と称して創祀、第33代推古天皇の御世に岩窟内に社殿を創建して鵜戸神社と称したと伝える。
主祭神は、日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊で、主祭神の高祖母大日孁貴、曾祖父天忍穂耳尊、祖父彦火瓊々杵尊、父彦火々出見尊、子神日本磐余彦尊を併せて祀る。
特に桓武天皇の御世以降、神仏習合が進んだが、明治元年(1868年)の神仏判然令によって別当寺院を廃し、翌2年に鵜戸神社と改称、同7年に神宮号が宣下されて現社名となった。
近くには主祭神の陵と伝えられる吾平山上陵があり、現在、宮内庁が管理する陵墓参考地になっている。
昭和40年(1965年)、NHKの朝の連続テレビ小説『たまゆら』の舞台になったこともあり、昭和40年代には新婚旅行の定番地となった経緯がある。
ただ、当社には有名な「シャンシャン馬」の風習が大正の初め頃まで行われており、もともと新婚旅行の聖地だったともいえる。
「シャンシャン馬」は、新婚夫婦による鵜戸神宮への参拝、鵜戸詣において、美しく飾った馬に花嫁を乗せ、花婿が手綱を取りながら旅をするもの。駒宮神社が発祥地とも。
江戸時代前期、現在の市内南郷町榎原に御分霊を勧請した。榎原神社である。当社詣とともに榎原詣でが人気となり、飫肥の御両社と呼ばれた。
また、潮嶽神社によれば、飫肥の御両社の他、潮嶽大権現とともに、日向三権現と呼ばれたという。往時、当社は鵜戸大権現と呼ばれていた。
当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として、また、進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
なお、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」、 潜水艦「さちしお」の艦内神社に分祀したという。「ひゅうが」の艦内神社は他に、都農神社も勧請しているという。
社叢は、亜熱帯性の樹種が豊富な自然林で、中でも本殿裏の窪地にあるヘゴの群落が有名。国の天然記念物である「ヘゴ自生北限地帯」の構成要素の一つ。
なお、皇統に連なる、神宮号の神社の系譜として、当社主祭神からの続柄で見て、下記のような神社が存在する。
・伊勢の神宮の内宮(皇祖天照大神。三重県伊勢市)
・英彦山神宮(曾祖父天之忍穂耳命。福岡県添田町)
・霧島神宮(祖父瓊瓊杵尊。鹿児島県霧島市)
・鹿児島神宮(父山幸彦。鹿児島県霧島市)
・当宮(本人)
・宮崎神宮(子初代神武天皇。宮崎県宮崎市)
【ご利益】
縁結び、安産、育児、海上安全(公式HP)
【関連記事】
・神宮とは? - 現在は自主判断も、原則として特別な由緒がある神社でなければ名乗れない
・近代社格制度の官幣大社とは? - 廃絶・未鎮座を除く59社、現時点で65社の神社の一覧表
・日本三大下り宮とは? - 群馬の一之宮貫前神社、宮崎の鵜戸神宮、熊本の草部吉見神社
・国の天然記念物がある神社 - 数百年、数千年という単位で存在し続けている自然のパワー
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
・[日本全国]初詣で人気の神社、その人出 参拝者数ランキング - 宮崎県 - ウガヤフキアエズ
・日本神社100選とは? - 臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に掲載された神社
・詩でたどる日本神社百選 - 進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載された神社
・艦内神社とは? - 日本特有の「恐怖の海」への対処法 - 自衛艦の艦内神社
・『週刊 日本の神社 2015年 1/20号 [分冊百科]』 - 日向三代、宮崎神宮、鵜戸神宮、高千穂神社
・宮崎県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
・宮崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、宮崎県に鎮座している神社の一覧
コメント