「磯部の大神宮さん」などとも呼ばれる神宮内宮の別宮の一社で志摩国一宮
[住所]三重県志摩市磯部町上之郷374
[電話]0599-55-0038

伊雑宮(いざわのみや、正式名:伊雜宮)は、三重県志摩市磯部町にある神社。「いぞうぐう」とも呼ばれるほか、「磯部の宮」「磯部の大神宮さん」とも呼ばれる。

伊勢の神宮(伊勢神宮)、神宮125社の一社で、皇大神宮(内宮)の別宮の一社。伊勢神宮125社めぐりの中で磯部めぐりの一社である。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 志摩国 答志郡「粟嶋坐伊射波神社/粟島坐伊射波神社二座」に比定される式内社(大社)の論社。

歴史的な一宮としての志摩国一宮の候補。「全国一の宮会」に加盟している。度会郡大紀町の瀧原宮とともに、「天照大神の遙宮(とおのみや)」と呼ばれる。


『倭姫命世記』によると、内宮を建立した倭姫命が神宮への神饌を奉納する御贄地(みにえどころ)を探して志摩国を訪れた際、伊佐波登美命が出迎えた当地を御贄地に選定して当宮を建立したとされる。

御祭神は、天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)。

しかし、『延喜式神名帳』の「粟島坐伊射波神社」は二座とあるため、伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命と玉柱命(または玉柱屋姫命)と考えられたこともあった。

江戸期には、伊勢神宮からの独立性が高かった。

神領横領と神領返還闘争事件を通じて、自身の権威を高めるため、土着した神人らが内宮、豊受大神宮(外宮)に並ぶ第三極として、自身を位置付けようと「伊勢三宮」の一社などとしたこともあった。

他に、「日本第一の大社、大神宮」「伊雑皇太神宮」「伊勢三太神宮ご同体の一社」などとも自称したとされる。

事件終息後、江戸前期の間には伊勢神宮の管理下におさまり、伊勢三宮の呼称も歴史用語となった。

伊雑宮に奉納する米の田植えを毎年6月24日に行なう御田植式は、香取神宮住吉大社とあわせて日本三大御田植祭とされる。

御田植式での伝承芸能である「磯部の御神田」は、1971年(昭和46年)に三重県の無形文化財に、1990年(平成2年)には国の重要無形民俗文化財に指定された。

なお、式内社「粟島坐伊射波神社」の論社と志摩国一宮の他の候補としては、鳥羽市の伊射波神社がある。

しかし、各説を吟味してみると、当社が式内社であることには変わりがないので、正確には論社とは言えないかもしれない。

所管社として、佐美長神社佐美長御前神社四社があり、いずれもともに神宮125社を構成している。

伊勢の神宮125社で御朱印が頂ける一社

【ご利益】
五穀豊穣や自然の恵み

所管社
序列1 佐美長神社 (志摩市磯部町)
序列2-5 佐美長御前神社四社 (志摩市磯部町)

皇大神宮(内宮)別宮
序列1 荒祭宮 (伊勢市宇治)
序列2 月讀宮 (伊勢市中村町)
序列3 月讀荒御魂宮 (伊勢市中村町)
序列4 伊佐奈岐宮 (伊勢市中村町)
序列5 伊佐奈弥宮 (伊勢市中村町)
序列6 瀧原宮 (度会郡大紀町)
序列7 瀧原竝宮 (度会郡大紀町)
序列8 伊雑宮 (志摩市磯部町)
序列9 風日祈宮 (伊勢市宇治)
序列10 倭姫宮 (伊勢市楠部町)

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伊雑宮の御朱印