四道将軍の一人オオビコとスクナビコナらを祀る、伊賀忍者ゆかりの一宮
[住所]三重県伊賀市一之宮877
[電話]0595-23-3061
敢國神社(あえくにじんじゃ、敢国神社)は、三重県伊賀市一之宮にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『皇太神宮儀式帳』にある「阿閇柘殖宮」、『倭姫命世記』にある「敢都美恵宮」の伝承地の一つで、倭姫命が伊勢の神宮に落ち着くまでの間に滞在した元伊勢の一つ。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 阿拝郡「敢国神社」に比定される式内社(大社)。歴史的な一宮としての伊賀国一宮。
近代社格では国幣中社。現在は神社本庁の別表神社。「全国一の宮会」に加盟している。
主祭神は大彦命(敢國津神)。第8代孝元天皇の皇子で、第10代崇神天皇の御世における四道将軍の一人で、北陸平定後、一族でこの地に移り、伊賀国の開拓を行ったという。
当社の北1キロほどのところに、大彦命の墓と伝わる御墓山古墳がある。
その子孫は伊賀国中に広がり、阿拝郡(あへのこおり)を本拠としたため「阿拝氏」を称した。後に阿閉・阿倍・安倍などとも表記され、大彦命は伊賀国の祖神で、「あべ」姓の氏神とされる。
配神は少彦名命と金山比咩命。中世から近世にかけては、少彦名命が主祭神とされたが、明治期に現在の形になった。
社伝などによれば斉明天皇4年(658年)の創建。本来当地には秦氏が居住して少彦名命を祀り、一方で、阿拝氏は祖神として大彦命を祀った。
その後、美濃国一宮である南宮大社より勧請された金山比咩命が祀られた。
織田信長による伊賀攻めの舞台とも知られ、信長暗殺未遂事件(伊賀忍者の音羽半六ら数名による狙撃)の現場とも言われている。
それもあってか、伊賀忍者とのゆかりが深く、伊賀神服部流忍術を駆使した伊賀流忍者集団・黒党 (くろんど)などの支援を行っている。
獅子神楽舞初祭、獅子神楽舞上祭、例大祭では獅子神楽(12月5日)が奉納される。敢國神社の獅子神楽は伊賀各地の獅子神楽の原型とされ、三重県の無形文化財。
また、当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。
【ご利益】
交通安全、健康長寿、医薬・酒造、商売繁盛・大魚豊穣、採鉱冶金機械工業(公式HP)
【関連記事】
・一宮とは? - その地域の中で最も社格の高いとされる神社のこと、根強い一宮めぐり人気
・歴史的な一宮とは? - 『中世諸国一宮制の基礎的研究』が底本、資料で確認できる一宮
・「全国一の宮会」加盟社とは? - 歴史的な一宮や、新一の宮などを含めた現代版一宮
・近代社格の国幣中社とは? - 北海道から九州地方までまんべんなく分布、一宮も多い
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
・元伊勢「敢都美恵宮」(あえとみえのみや) - 伊賀国の三つ目及び最後の地、元伊勢の第十一
・『倭姫命世記』(7) - ヤマトヒメ、伊賀国から近江国、美濃国を経て、尾張国へ
・『倭姫命世記』(8) - ヤマトヒメ伊勢国入り 大若子命と出会い、「阿野国」まで
・日本神社100選とは? - 臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に掲載された神社
・『週刊 日本の神社 2014年 12/30号 [分冊百科]』 - 多度大社と敢國神社 三重県
・三重県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
[電話]0595-23-3061
敢國神社(あえくにじんじゃ、敢国神社)は、三重県伊賀市一之宮にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『皇太神宮儀式帳』にある「阿閇柘殖宮」、『倭姫命世記』にある「敢都美恵宮」の伝承地の一つで、倭姫命が伊勢の神宮に落ち着くまでの間に滞在した元伊勢の一つ。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 伊賀国 阿拝郡「敢国神社」に比定される式内社(大社)。歴史的な一宮としての伊賀国一宮。
近代社格では国幣中社。現在は神社本庁の別表神社。「全国一の宮会」に加盟している。
主祭神は大彦命(敢國津神)。第8代孝元天皇の皇子で、第10代崇神天皇の御世における四道将軍の一人で、北陸平定後、一族でこの地に移り、伊賀国の開拓を行ったという。
当社の北1キロほどのところに、大彦命の墓と伝わる御墓山古墳がある。
その子孫は伊賀国中に広がり、阿拝郡(あへのこおり)を本拠としたため「阿拝氏」を称した。後に阿閉・阿倍・安倍などとも表記され、大彦命は伊賀国の祖神で、「あべ」姓の氏神とされる。
配神は少彦名命と金山比咩命。中世から近世にかけては、少彦名命が主祭神とされたが、明治期に現在の形になった。
社伝などによれば斉明天皇4年(658年)の創建。本来当地には秦氏が居住して少彦名命を祀り、一方で、阿拝氏は祖神として大彦命を祀った。
その後、美濃国一宮である南宮大社より勧請された金山比咩命が祀られた。
織田信長による伊賀攻めの舞台とも知られ、信長暗殺未遂事件(伊賀忍者の音羽半六ら数名による狙撃)の現場とも言われている。
それもあってか、伊賀忍者とのゆかりが深く、伊賀神服部流忍術を駆使した伊賀流忍者集団・黒党 (くろんど)などの支援を行っている。
獅子神楽舞初祭、獅子神楽舞上祭、例大祭では獅子神楽(12月5日)が奉納される。敢國神社の獅子神楽は伊賀各地の獅子神楽の原型とされ、三重県の無形文化財。
また、当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として掲載されている。
なお、元伊勢としての「敢都美恵宮」は、同じ市内の都美恵神社も伝承地の一つ。
【ご利益】
交通安全、健康長寿、医薬・酒造、商売繁盛・大魚豊穣、採鉱冶金機械工業(公式HP)
【関連記事】
・一宮とは? - その地域の中で最も社格の高いとされる神社のこと、根強い一宮めぐり人気
・歴史的な一宮とは? - 『中世諸国一宮制の基礎的研究』が底本、資料で確認できる一宮
・「全国一の宮会」加盟社とは? - 歴史的な一宮や、新一の宮などを含めた現代版一宮
・近代社格の国幣中社とは? - 北海道から九州地方までまんべんなく分布、一宮も多い
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
・元伊勢「敢都美恵宮」(あえとみえのみや) - 伊賀国の三つ目及び最後の地、元伊勢の第十一
・『倭姫命世記』(7) - ヤマトヒメ、伊賀国から近江国、美濃国を経て、尾張国へ
・『倭姫命世記』(8) - ヤマトヒメ伊勢国入り 大若子命と出会い、「阿野国」まで
・日本神社100選とは? - 臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に掲載された神社
・『週刊 日本の神社 2014年 12/30号 [分冊百科]』 - 多度大社と敢國神社 三重県
・三重県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
・三重県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、三重県に鎮座している神社の一覧
コメント