八幡発祥の“正八幡”、応神皇后ナカツヒメや呉の太伯も祀られる古社
[住所]鹿児島県霧島市隼人町内2496-1
[電話]0995-42-0020
鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 大隅国 桑原郡「鹿児島神社」に比定される式内社(大社)。歴史的な一宮としての大隅国一宮で、近代社格では官幣大社。
現在は神社本庁の別表神社。「全国一の宮会」に加盟している。
八幡発祥の説話が残り、正八幡とも呼ばれる。九州五所別宮(宇佐八幡宮五所別、石清水五所別宮、八幡五所別宮などとも)の一社。
主祭神は、天津日高彦穂々出見尊と豊玉比売命。相殿神は、帯中比子尊、息長帯比売命、品陀和気尊、中比売尊、太伯。
創始は社伝によると「初代神武天皇の時に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされる。当社の北西13キロの地点には、穗穗出見尊の御陵とされる高屋山上陵がある。
第29代欽明天皇の代に八幡神が垂迹した。当社を正八幡と呼ぶのは『八幡愚童訓』に欽明天皇の父である第26代継体天皇の代のこととして下記のような話が伝わるため。
八幡神として、応神天皇が祀られ、神功皇后があわせて祀られ、またその父ともされる仲哀天皇を祀ることもしばしばみられるが、応神皇后もあわせて祀られるのは珍しい形態かもしれない。
また、珍しいといえば、国内では唯一当社でのみ祀られるのが句呉の祖である太伯。どちらにしろ、大隅国の国府・国分寺の守護神である国府八幡宮だったと考えられる。
なお、旧暦8月15日、古事記にも記載された、御祭神・山幸彦の兄である海幸彦ゆかりの隼人舞が奉納されることでも知られている。明治7年(1874年)に神宮号宣下があり現社名になった。
古名として、「鹿児島神社」とも呼ばれた。今現在、「鹿児島神社」は鹿児島市と垂水市にある。垂水市の鹿児島神社は当社の末社とされる。
この三つの鹿児島神社、鹿児島神社三社を直線で結ぶと桜島を囲む二等辺三角形になり、これらの神社は元々は桜島(古くは鹿児島と呼ばれたとする説がある)を御神体として祀る神社だったとする説もある。
なお、当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として、また、進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
なお、海上自衛隊の護衛艦「せんだい」の艦内神社に分祀しているという。「せんだい」の艦内神社は他に、新田神社を勧請しているとも。
なお、皇統に連なる、神宮号の神社の系譜として、当社主祭神からの続柄で見て、下記のような神社が存在する。
・伊勢の神宮の内宮(皇祖天照大神。三重県伊勢市)
・英彦山神宮(祖父天之忍穂耳命。福岡県添田町)
・霧島神宮(父瓊瓊杵尊。鹿児島県霧島市)
・当宮(本人)
・鵜戸神宮(子鵜鵜鷀草葺不合尊。宮崎県日南市)
・宮崎神宮(孫初代神武天皇。宮崎県宮崎市)
【ご利益】
夫婦円満、子宝、安産など、厄除け、必勝祈願など
【関連記事】
・一宮とは? - その地域の中で最も社格の高いとされる神社のこと、根強い一宮めぐり人気
・歴史的な一宮とは? - 『中世諸国一宮制の基礎的研究』が底本、資料で確認できる一宮
・「全国一の宮会」加盟社とは? - 歴史的な一宮や、新一の宮などを含めた現代版一宮
・神宮とは? - 現在は自主判断も、原則として特別な由緒がある神社でなければ名乗れない
・近代社格制度の官幣大社とは? - 廃絶・未鎮座を除く59社、現時点で65社の神社の一覧表
・九州五所別宮とは? - 将門・純友の乱への対応、九州の要衝に勧請・配備された八幡神
・鹿児島神社三社 - 鹿児島県の三市、桜島を囲む不思議なトライアングルを形成する三社
・国府八幡宮とは? - 一国一社の八幡宮、各国の国府や国分寺の鎮守・守護神としての八幡
・自衛艦の艦内神社 - 海上自衛隊の艦艇、艦艇種別ごと、艦艇ごとに、分祀神社のまとめ
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
・日本神社100選とは? - 臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に掲載された神社
・詩でたどる日本神社百選 - 進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載された神社
・『週刊 日本の神社 2014年 12/16号 [分冊百科] 』 - 霧島神宮と鹿児島神宮
・鹿児島県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
・鹿児島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、鹿児島県に鎮座している神社の一覧
[電話]0995-42-0020
鹿児島神宮(かごしまじんぐう)は、鹿児島県霧島市隼人町内にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 大隅国 桑原郡「鹿児島神社」に比定される式内社(大社)。歴史的な一宮としての大隅国一宮で、近代社格では官幣大社。
現在は神社本庁の別表神社。「全国一の宮会」に加盟している。
八幡発祥の説話が残り、正八幡とも呼ばれる。九州五所別宮(宇佐八幡宮五所別、石清水五所別宮、八幡五所別宮などとも)の一社。
主祭神は、天津日高彦穂々出見尊と豊玉比売命。相殿神は、帯中比子尊、息長帯比売命、品陀和気尊、中比売尊、太伯。
創始は社伝によると「初代神武天皇の時に天津日高彦穗穗出見尊の宮殿であった高千穂宮を神社としたもの」とされる。当社の北西13キロの地点には、穗穗出見尊の御陵とされる高屋山上陵がある。
第29代欽明天皇の代に八幡神が垂迹した。当社を正八幡と呼ぶのは『八幡愚童訓』に欽明天皇の父である第26代継体天皇の代のこととして下記のような話が伝わるため。
震旦国(インドから見た中国)の大王の娘の大比留女は七歳の時に朝日の光が胸を突き、懐妊して王子を生んだ。王臣達はこれを怪しんで空船に乗せて、船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべた。船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着き、その太子を八幡と名付けたと言う。八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐(宇佐神宮)に遷り、ついに石清水(石清水八幡宮)に跡を垂れたと『今昔物語集』にも記載されている。
八幡神として、応神天皇が祀られ、神功皇后があわせて祀られ、またその父ともされる仲哀天皇を祀ることもしばしばみられるが、応神皇后もあわせて祀られるのは珍しい形態かもしれない。
また、珍しいといえば、国内では唯一当社でのみ祀られるのが句呉の祖である太伯。どちらにしろ、大隅国の国府・国分寺の守護神である国府八幡宮だったと考えられる。
なお、旧暦8月15日、古事記にも記載された、御祭神・山幸彦の兄である海幸彦ゆかりの隼人舞が奉納されることでも知られている。明治7年(1874年)に神宮号宣下があり現社名になった。
古名として、「鹿児島神社」とも呼ばれた。今現在、「鹿児島神社」は鹿児島市と垂水市にある。垂水市の鹿児島神社は当社の末社とされる。
この三つの鹿児島神社、鹿児島神社三社を直線で結ぶと桜島を囲む二等辺三角形になり、これらの神社は元々は桜島(古くは鹿児島と呼ばれたとする説がある)を御神体として祀る神社だったとする説もある。
なお、当社は臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に「日本神社100選」として、また、進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。
なお、海上自衛隊の護衛艦「せんだい」の艦内神社に分祀しているという。「せんだい」の艦内神社は他に、新田神社を勧請しているとも。
なお、皇統に連なる、神宮号の神社の系譜として、当社主祭神からの続柄で見て、下記のような神社が存在する。
・伊勢の神宮の内宮(皇祖天照大神。三重県伊勢市)
・英彦山神宮(祖父天之忍穂耳命。福岡県添田町)
・霧島神宮(父瓊瓊杵尊。鹿児島県霧島市)
・当宮(本人)
・鵜戸神宮(子鵜鵜鷀草葺不合尊。宮崎県日南市)
・宮崎神宮(孫初代神武天皇。宮崎県宮崎市)
【ご利益】
夫婦円満、子宝、安産など、厄除け、必勝祈願など
【関連記事】
・一宮とは? - その地域の中で最も社格の高いとされる神社のこと、根強い一宮めぐり人気
・歴史的な一宮とは? - 『中世諸国一宮制の基礎的研究』が底本、資料で確認できる一宮
・「全国一の宮会」加盟社とは? - 歴史的な一宮や、新一の宮などを含めた現代版一宮
・神宮とは? - 現在は自主判断も、原則として特別な由緒がある神社でなければ名乗れない
・近代社格制度の官幣大社とは? - 廃絶・未鎮座を除く59社、現時点で65社の神社の一覧表
・九州五所別宮とは? - 将門・純友の乱への対応、九州の要衝に勧請・配備された八幡神
・鹿児島神社三社 - 鹿児島県の三市、桜島を囲む不思議なトライアングルを形成する三社
・国府八幡宮とは? - 一国一社の八幡宮、各国の国府や国分寺の鎮守・守護神としての八幡
・自衛艦の艦内神社 - 海上自衛隊の艦艇、艦艇種別ごと、艦艇ごとに、分祀神社のまとめ
・神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
・日本神社100選とは? - 臼田甚五郎監修『日本神社一00選』に掲載された神社
・詩でたどる日本神社百選 - 進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載された神社
・『週刊 日本の神社 2014年 12/16号 [分冊百科] 』 - 霧島神宮と鹿児島神宮
・鹿児島県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
・鹿児島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、鹿児島県に鎮座している神社の一覧
コメント