香取神宮(千葉県・香取市)の例祭は毎年4月14日に行われる。6年ごとの子年・午年には勅使の参向を仰ぎ、勅祭となる。皇室の弥栄と国家の安泰・氏子崇敬者を始め国民の繁栄を祈る、香取神宮最大の祭典。翌15日には神幸祭が行われるが、12年ごと(午年)には式年神幸祭として大々的に執り行われる。
例祭の翌日、毎年4月15日午後に執り行われる神幸祭は、氏子地域の人々約200人が、平安時代さながらの装束に身を包み、御神輿を中心に行列を組んで、参道入り口の大駐車場まで進み、御駐輦祭を行い社殿へと戻る。祭典前、境内では香取神道流の奉納演武や、オランダ楽隊の演奏などが行われる。
式年神幸祭は、12年に一度、午年の4月15、16日の二日間に盛大に執り行われる。御祭神の経津主大神が戦の神として崇拝されていることから、戦中までは「香取神宮神幸軍神祭」と呼ばれ、各地から軍人が参加した。敗戦後は“軍神”が取り除かれた。
伝承では東国平定の凱旋パレードが始まりであると伝えられ、元は式年遷宮大祭の名で20年に一度行うとされていたが、戦乱の時代の鎌倉時代(一説には戦国時代)から行われなくなり、明治8年(1875年)に行列を作る供奉行列が再現され今日に至っている。
午年の式年神幸祭には、供奉者およそ3000人が約4キロの大行列を組んで津宮へと進み、朱塗りの董橋、通称「じょんぬきばし」を渡り、利根川沿いの鳥居河岸より御座船で川をのぼる。
佐原の沖合で鹿島神宮の出迎え船による御迎祭が行われた後、佐原河口に上陸し、御旅所に一泊、翌日佐原の中心部を通って香取神宮に戻る。陸に水上に多くの氏子や崇敬者が供奉しての一大絵巻となる。次回開催は平成38年(2026年)4月に行われる予定。
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佐原の沖合で鹿島神宮の出迎え船による御迎祭が行われた後、佐原河口に上陸し、御旅所に一泊、翌日佐原の中心部を通って香取神宮に戻る。陸に水上に多くの氏子や崇敬者が供奉しての一大絵巻となる。次回開催は平成38年(2026年)4月に行われる予定。
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