国内最大級の弥生集落跡・妻木晩田遺跡(鳥取県・大山町、国史跡)内にある仙谷8号墓(大山町)に、人間の頭蓋骨の一部が残っていたことが県立むきばんだ史跡公園の発掘調査で分かりました。
弥生時代の墳丘墓から人骨が見つかったのは鳥取県内では初めて。8号墓は遺跡内で最大規模で、地域の有力者が埋葬されたと考えられ、人骨はその人物像に迫る手がかりになるのではと期待されていると言います。読売新聞が報じています。画像は妻木晩田遺跡で確認されている墳墓の歴史(出典:県立むきばんだ史跡公園)。
8号墓の調査は2011年度に開始。これまでに、規模は南北約14メートル、東西約18メートルの規模と判明しており、弥生時代の墳丘墓では鳥取県内で初めて石棺も見つかっています。現在、人骨は鑑定と放射性炭素年代測定に回されており、2015年秋にも詳細が判明する予定だといいます。
妻木晩田遺跡は、かの吉野ヶ里遺跡(佐賀県・吉野ヶ里町)の数倍の規模を有する集落遺跡です。この地に、これだけ大規模な集落跡があることは、弥生時代のイメージを大きく変えさせました。今回発見された人骨は、おそらくこの大集落の首長格の方のものと思われますが、一体どのような方だったのか、大変興味深いところです。
遺跡や墳墓は2-3世紀のものと見られ、人骨の主もその時代を生きていた可能性が高くなっています。時はまさに魏志倭人伝に描かれた倭の時代、女王が都するといわれた邪馬台国が日本のどこかにあり、卑弥呼が君臨していたと思われる時代と同時代、かもしれません。
卑弥呼が生きた時代と重なる可能性は高いですが、実際には2世紀前半などとなると、卑弥呼より数年、十数年、数十年先行していた、かもしれませんが、とにかく結果が今から大変楽しみです。
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・【邪馬台国論争】邪馬台国はどこか? 卑弥呼は誰か? 今までの研究・論争をまとめ - 出雲説
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8号墓の調査は2011年度に開始。これまでに、規模は南北約14メートル、東西約18メートルの規模と判明しており、弥生時代の墳丘墓では鳥取県内で初めて石棺も見つかっています。現在、人骨は鑑定と放射性炭素年代測定に回されており、2015年秋にも詳細が判明する予定だといいます。
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