石清水祭は石清水八幡宮(京都府・八幡市)の例祭。清和天皇の貞観5(863)年、旧暦の8月15日に「石清水放生会」と称し、八幡大神様が男山の裾を流れる放生川のほとりに臨み、生ける魚鳥を放ち「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願う祭儀として始められた。葵祭(賀茂祭、賀茂別雷神社と賀茂御祖神社)、春日祭(春日大社)とともに三勅祭の一つ。
賀茂神社・賀茂祭(葵祭)の北祭に対し、南祭とも。
勅祭として斎行されたのは、天暦2(948)年の勅使御差遣による。延久2(1070)年には当日の太政官勤務の最上位たる上卿が勅使を兼ね、参議以下朝廷の諸官を率いて参向し、神輿の渡御を行わせ給うなど、益々荘厳の度を加えた。
祭典は、15日午前2時、山上・御本殿にて御鳳輦(神輿)3基に3座の神霊を奉遷する儀式より始まり、同3時には御本殿を出発、約500人のお供とともに山麓へと下り、絹屋殿に着御されたのち勅使以下の奉迎を受け頓宮に入御。
次いで献饌・供花・奉幣・牽馬など古儀による奉幣祭が厳修されたのち、放生川にて魚鳥を放つ放生行事が行われ、御鳳輦は同日夕刻、山上へと還幸となる。
真夜中、松明や提灯の灯りだけを頼りに八幡大神をお乗せした御鳳輦(ごほうれん)が約500名の神人と呼ばれるお供の列を従え、男山山上の御本殿から山麓の頓宮へとお下りになる「神幸行列」、早朝空が徐々に明けゆく静寂の中粛々と斎行される「奉幣の儀」。
まさに平安絵巻から飛び出してきたかのような高尚典雅の風を現代に伝えており、当社では「文化と歴史を目の当たりにする〝動く古典〟として貴重な文化財」(公式HP)としている。
かつては旧暦8月15日に行われたが、明治17年(1884年)よりは新暦の9月15日に行われ、現在に至っている。同じ京都の三大勅祭である葵祭が日中を中心に行われるのに対して、夜通し行われる石清水祭は、一種独特な趣がある祭りとなっているといえる。
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賀茂神社・賀茂祭(葵祭)の北祭に対し、南祭とも。
勅祭として斎行されたのは、天暦2(948)年の勅使御差遣による。延久2(1070)年には当日の太政官勤務の最上位たる上卿が勅使を兼ね、参議以下朝廷の諸官を率いて参向し、神輿の渡御を行わせ給うなど、益々荘厳の度を加えた。
祭典は、15日午前2時、山上・御本殿にて御鳳輦(神輿)3基に3座の神霊を奉遷する儀式より始まり、同3時には御本殿を出発、約500人のお供とともに山麓へと下り、絹屋殿に着御されたのち勅使以下の奉迎を受け頓宮に入御。
次いで献饌・供花・奉幣・牽馬など古儀による奉幣祭が厳修されたのち、放生川にて魚鳥を放つ放生行事が行われ、御鳳輦は同日夕刻、山上へと還幸となる。
真夜中、松明や提灯の灯りだけを頼りに八幡大神をお乗せした御鳳輦(ごほうれん)が約500名の神人と呼ばれるお供の列を従え、男山山上の御本殿から山麓の頓宮へとお下りになる「神幸行列」、早朝空が徐々に明けゆく静寂の中粛々と斎行される「奉幣の儀」。
まさに平安絵巻から飛び出してきたかのような高尚典雅の風を現代に伝えており、当社では「文化と歴史を目の当たりにする〝動く古典〟として貴重な文化財」(公式HP)としている。
かつては旧暦8月15日に行われたが、明治17年(1884年)よりは新暦の9月15日に行われ、現在に至っている。同じ京都の三大勅祭である葵祭が日中を中心に行われるのに対して、夜通し行われる石清水祭は、一種独特な趣がある祭りとなっているといえる。
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