森と神と日本人
・刊行:2013/8/26
・著者:上田正昭
・出版:藤原書店

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■私はかねてより人間がいかに自然と調和するか、そしてその知恵と体験を蓄積して、人間と自然がどのように「共生」すべきかを、みずからの歴史学の主要な課題のひとつとしてきた。

多くの人びとは「共生」を「とも生き」とよんで、自然と共に生きる、多文化と共に生きることが必要であると説いてきた。しかし「とも生き」は、ややもすると仲良しの現状維持になりがちである。

『古事記』は「共生」を「とも生み」と訓んでいる。異民族・異文化と日本人・日本文化が、未来に向ってあらたな歴史と文化を共に生みだす、人間がいかに努力して、新しい自然との関係を創造してゆくか、それは「とも生み」の「共生」に根ざすべきではないのか。

■自然との共生の観点から、私がつねづね注目してきたのが、日本の歴史と文化の基層につながって存続してきた「鎮守の森」のありようである。日本人にとって親しみ深くかつ神聖なる森は、それに対する畏れと慎みのこころとともに、歴史の中で守り生かされてきたのである。

聖なる場所であり、人々が集まる場所として、鎮守の森(=社叢)を捉え直していくことがこれからの時代にとっても非常に価値を持つものであると私たちは考えている。

鎮守の森は人間が生かし、人間が参加して生まれたもので、いわば自然と神と人との接点であり、鎮守の森は、人間と自然との共生を象徴する存在とも言えるからである。

『古事記』に記された「共生」=「とも生み」。日本の歴史と文化の基層につながって存続してきた「鎮守の森」は、聖なる場所でありながら人々の集まる場所であり、自然と神と人の接点として、“人間と自然との共生”を象徴してきた。